鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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注突きこんだ理解を感じさせない所以でもあろう。実際,莞彩は戦後にこの主題から離れ,自身の身内に染み込んでいるような札幌の雪や街並を描くようになってから,その絵画世界に深々とした抒情を宿し,独自の境地を見せるのである。自らの生きる北の風土あるいは北の文化の象徴として,アイヌを描こうとした莞彩だが,アイヌと自身の間には歴然とした距離があった。しかし,中央との相対においての「北方文化」という括りが,アイヌをやや表層的なイメージでとらえることを画家に許したのであろう。こうした行き方はまた,莞彩一人の傾向ではなく,中央との関係性に自己の特色をみいだすという北海道の杜会性に根差した美術の一傾向といえよう。(1) 戦時下における風土性重視の潮流については『新札幌市史第4巻通史4』(平成9年3月,札幌市)の「第9章第1節の2戦時下の文化統制」の項において指摘されており,本稿もこれに多くを負った。-487-

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