鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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て,ここではミニマル・アートの特質について若干のコメントを付しておきたい。63年からおよそ5年間にわたるミニマル・アートの勃興期の特徴として,ここでは発表の場に注目したい。すなわち,ミニマル・アートの作品は当初,グリーン・ギャラリーや,レオ・キャステリ・ギャラリーといった比較的限られた画廊に設置されていた点である。むろん,新しい動向が(ギャラリストも含めた)少数の支持者の協力を得て展開されるといった事態はいつの時代にも指摘できるが,ここでミニマル・アートが比較的狭い画廊の空間を背景として成立した点は重要であるように思われる。まずこの点は,同様に美術館を否定し,作品と画廊空間との共生を主張したバーネット・ニューマンやマーク・ロスコらと共通しており,従来,対照的に捉えられてきた抽象表現主義とミニマル・アートとの共通性を示唆する(注2)。実際,今日にいたるまで美術館の規模でミニマル・アートに関する回顧的な展示の例が稀である点は,このような問題と関わっているだろう。比較的狭く,作家によって操作が容易な空間が好まれた理由については,幾つかの説明が可能であろう。しばしば指摘されてきた通り,ミニマル・アートにおいては,観者と作品との関係が作品の重要な主題ととらえられてきた。つまり,極めて単純な形態によって構成されるこれらの作品は,その内的な構造に意味を見いだすことが困難なため,その外的な関係,つまり,空間と作品を見る観者との関係において意味を形成するのである。この点に関して,モリスは自らが執筆した幾つかの論考のなかで指摘し(注3)'またマイケル・フリードは67年の重要な論文「アート・アンド・オブジェクトフッド」のなかでこのような特質を「演劇的」と呼び,むしろ否定的に言及した(注4)。しかし,このような特質はさらに追求すると,これらの作品が一種の臨場性にその本質をもつことを暗示している。そして,ここから作品が観者との関係を取り結ぶ「場」の問題が浮上するのである(注5)。特定の画廊空間との関係,あるいは展覧会形式で回顧することの困難さは,作家たちがそれらの作品を通して,いわば一つの「場」を形成することを求めたことを示している。おそらくそれはデヴュー当時,限られた空間を限られた期間しか占有できなかった作家らの社会的,さらにいえば経済的な理由に根ざしていたのであろうが,本研究に先行する調査のなかで,私が実際に見た近年の彼らの大作,例えばテキサス州マーファにあるジャッドの恒久インスタレーション,あるいはブルックリンの銀行に設置されたフレイヴィンの巨大なインスタレーションなどを想起すると,彼らが目指したものが,最終的には,いわば作品を一つの関数とした「場」の設定に他ならな-41 -

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