かったことが暗示されているように思われる(注6)。この後,アメリカにおけるミニマル・アートの動向は,67年頃を境にしてさらに分岐する。直線的な形態に変わる可塑的,あるいは元素的な素材の使用などによって特徴づけられるこれらの動向には,「プロセス・アート」,「ランド・アート」などといった呼称が与えられている。しかし,これらの作品がその本質において,ミニマル・アートで提起されたいくつかの問題をさらに深化させる試みであったことは,次に論じる同時代の動向との比較によって明らかになるであろう。ヨーロッパにおける動向美術の歴史が比較的浅く,参照すべき先例に乏しかったアメリカに対し,圧倒的な伝統と作品を擁するヨーロッパ各地でも,60年代後半に同様の還元的な傾向の美術が出現したことは,ミニマリズムの動向の国際性を物語っているといえるであろう。イギリスのセント・マーティン美術学校周辺,あるいはドイツのヨーゼフ・ボイス周辺などにも,このような傾向が見られるが,社会性の問題にも踏み込んだそれらの作品にも触れると論点が拡散するおそれがあるので,本論ではイタリアのアルテ・ポーヴェラを中心に,ミニマリズムの動向を検証したい。アルテ・ポーヴェラの動向の早い時期の展示としては,67年,ローマのアッティコ画廊において,A・ボアットとM・カルヴェージによって企画された「火,イメージ,水,土」展が挙げられる。この時期はアメリカにおけるミニマル・アートがほぼその輪郭を示した後であり,アルテ・ポーヴェラはこれらのアメリカの傾向をむしろ批判的に継承することとなった(注7)。アメリカのミニマル・アートと同じように還元的な傾向をはらみながらも,アルテ・ポーヴェラが批判したのは,第一に,例えばロバート・モリスが一連の著作で提示したような一種の形式主義であった。モリスは「ユニタリーな形態」なる概念を提示し,あくまでも作品の形式的側面を問題とした(注8)。これに対し,イタリアのアルテ・ポーヴェラの作家たちは,作品の形式をむしろ解体する方向に作品を展開させ,客体化された素材を無媒介に提示した。このような作品の在り方は,文字通り,投げ出されたものとしての「オブジェ」の発想に近い。しかし,彼らはそれまでのオブジェが必然的に帯びた意味性を徹底的に回避し,いわば意味を持つ以前の状態にある素材そのものの提示を試みたといえよう。アメリカに比べて,長い伝統ゆえに,ど-42 -
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