鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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70年代にかけて,ミニマリズムの成熟とその超克が,地域ごとに若干の時差をともなのような物質であってもそれ自体の意味を持たざるを得ないヨーロッパにおいて,物質を物質そのものとして提示することは決して容易ではなく,逆にこのような困難に立ち向かう過程で,アルテ・ポーヴェラの表現の独自性が芽生えたといってもよいであろう。それでもなお「絵画」という枠組みのなかにおいてではあったが,アルテ・ポーヴェラの作家たちの先達であるアルベルト・ブッリやピエロ・マンゾーニらの絵画作品に,このような可能性の芽生えをみることは不可能ではないだろう(注9)。60年代後半にはニューヨークでも,可塑的な素材や変質する素材を使用して「アンチ・フォーム」,「プロセス・アート」などと呼ばれる動向が注目されるようになるが,アルテ・ポーヴェラはミニマル・アートを批判的に乗り越えようとしたこれらの動向とも共通点があり,また次に述べる「もの派」の活動なども参照すると,60年代後半からいながら進行したことがわかる。日本における動向アメリカにおいてミニマリズムの動向が顕著になりつつあった1968年,日本でもメルクマールとなる作品が発表された。それは,関根伸夫の《位相ー大地》である。須磨離宮公園での現代彫刻展に出品されたこの作品は,大地を円筒形に切り崩し,同量同形の土を積み上げたものである。周知の通り,関根およびこの作品の制作に実際に携わった作家たちは,まもなく「もの派」と総称される動向の中心メンバーとなり,一方,彼らのイデオローグでもあった李馬換は,この作品に着目した重要なエッセイを発表している(注10)。これまで論じてきたように,世界的な視野からこの作品を検討すると,《位相ー大地》がアメリカのミニマル・アートとイタリアのアルテ・ポーヴェラという,ミニマリズムに関する二つの傾向を,この時点で既に有していることが明らかであるだろう。なぜなら,土という元素的素材の使用,作品の無媒介的提示といった点は,アルテ・ポーヴェラの作品との共通性を強く意識させ,また出来上かった作品と設置された場所とが不可分に強く結びついている点は,ミニマル・アートの作品における,ある種の臨場性を想起させるからである。しかし同時に,円筒をポジとネガとも呼ぶべき手法で提示した点に,些かトリッキーに視覚を混乱させる作家の意図を読みとることもできるであろう。視覚的な混乱-43 -

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