鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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が,観者と作品との関係を問題としていることはいうまでもない。当時,多くの作家が,トリッキーな視覚操作による作品を試みた。通常はもの派との関係で論じられることがない高松次郎が60年代後半に制作した,視覚と実体との乖離を主題とした一連の作品が,もの派の作家たちに与えた影響は重要であり,彼の周辺からもの派の作家たちが多数輩出した点は,これまで見過ごされがちであったもの派と観者との関係の重要性を物語っている。実際,もの派の作品,特にその形成期には,例えば吉田克朗や成田克彦の初期作品に端的に見られる通り,視覚的な混乱をテーマとした作品が多い。このような視覚への関心は,同時代にアメリカにおいても顕在化し,ニューヨーク近代美術館で開催された「対応する眼」展での「オップ・アート」のような通俗的な作品にいたったが,もの派においては決して表現の主流となることがなかった点は留意されるべきであろう。もの派の作家たちは李に典型的に見られる通り,西欧の近代合理主義への批判という視座を共有していた。しかし,視覚操作こそルネサンスの遠近法に遡る,西欧合理主義の一つの常套手段であったため,彼らは生の素材,あるいは(泥をこねたり,石を割ったりする)作家の行為に注目することによって,もう一度,表現の極限的な在り方を追求することになったのである。けれども,彼らは土や鉄板,綿や材木といった物質に,西欧におけるほど歴史的象徴性を内在させることはできなかった。この点で,もの派の作家たちは,素材の無媒介的提示がそのまま作品を構成したアルテ・ポーヴェラの作家たちとは異なったアプローチをとらざるをえなかった。もの派の作品に用いられた手法を一括して論じることは困難であるが,その重要な手がかりとなったのが「場」という発想であった点は,疑いえないであろう。なぜなら,彼らの作品の多くは,展示された空間,具体的にはその壁面や床面などと密接な関係を保って設置され,特定の空間のみにおいて作品の成立が可能になるという,極めて特異な性質を秘めていたからである。もの派の多くの代表作が「写真」というかたちで今日に伝えられていることが,そのことを端的に物語っているだろう。そのため,近年のもの派の再評価の試みにおいて,展覧会に出品されるのは当時のオリジナル作品ではなく,再制作という手法が用いられるのはこのような理由による(注11)。移設,収蔵が困難なこれらのもの派の作品は,当時の社会状況と関連させて,しばしば美術館批判,美術制度批判といった文脈で理解されるのが常であったが,むしろこれらの作品は本質的に「場」の形成という問題に関わっており,制度との関係は二次-44 -

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