鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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vヽ゜なお,下段の羅漢像のうち,⑪,⑫, ⑬, ⑭の羅漢像の上端近くに,白下地を通し注(3) 田中喜作氏「大和絵十六羅漢像に就いて」(『美術研究』第58号)1936年10月。(4) 野間清六「新国宝十六羅漢図」(『MUSEUM』35号)1954年2月。1967年。左寄りに図様を表わす構図であることから,十六図の統一された構成を乱してはいなて,それぞれ「五」,「六」,「七」,「八」の墨書が見出される。このことから,羅漢像の配置が西面南側を起点としていたことが知られる。おわりに以上に述べたように,浄瑠璃寺初重壁画十六羅漢像の図様は,斑鳩寺本におよそ近似するものの,残存する図様をつぶさに観察すると,相違する図様が少なくない。むしろ壁画羅漢像の図様の特徴が,ボストン本や吉祥園寺本のそれに一致することからするならば,これら三作品はく大和絵系〉羅漢像の系統のうちでもきわめて近い関係にある。またこのように図様を確認することにより,壁画の十六尊者が,塔内の上段と下段に一巡して配列されることも明かとなる。さらに本報告では触れなかった表現や各本の関係などの諸問題については,あらためて論ずることにしたい。(1) 『大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記』一巻(『大正新脩大蔵経』第49巻No. 2030)。(2) 百橋明穂「十六羅漢図の源流とその系譜」注13(国際交流美術史研究会第10回国際シンポジアム『東洋美術史における西と東一対立と交流一』)1992年3月。高崎富士彦「十六羅漢像(東博本)の様式的研究」(『東京国立博物館紀要』第二号)1967年。松原茂研究代表『東洋古代絵画の彩色法の研究ー聖衆来迎寺伝来十六羅漢図を中心に一』(平成5■6年度科学研究費補助金研究成果報告書)1995年3月。(5) 浄瑠璃寺三重塔については,おもに以下の参考書を参照した。イ水沢澄夫『浄瑠璃寺』中央公論美術出版杜,1964年。ロ京都府教育庁文化財保護課編『国宝浄瑠璃寺本堂・三重塔修理工事報告書』,ノ、福山敏男『日本の寺5浄瑠璃寺』美術出版杜,1959年。-531-

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