鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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一清岡卓行・佐伯快勝『古寺巡礼京都7浄瑠璃寺』淡交社,1976~〇ホ『大和古寺大観第七巻海住山寺岩船寺浄瑠璃寺』岩波書店,1978年。ヘ肥田路美『日本の古寺美術18浄瑠璃寺の南山城の寺』保育社,1987年。(6)福山敏男氏は,天治元年(1124)に供養された大蔵卿忠長の一条堂(『中右記目録』)にあったと考えられる塔の可能性を示された。なお塔に関する記録殴とすれば,『殿暦』永久三年十月(1115)に,藤原忠実が方違えのためにおもむいた「一条塔」の記述も見出される。ただ,いずれも三重塔の造立が推定される時期とは大きく隔たる。しかしながら,本寺が恵信の入寺以降摂関家の子弟か入室した一乗院の持寺であり,また九条兼実の名が見出されることからすれば,あるいはこの三重塔も摂関家ゆかりの寺院にあったことが想定されよう。(7) 秋山光和「変文と絵解きの研究」第一章注19(『平安時代世俗画の研究』吉川弘文館)1964年。(8) (注5)前掲書ホでは,建立当初に腰長押はなかったものとする。(9) 宮崎法子「イ専音然将来十六羅漢図考」『鈴木敬先生還暦記念中国絵螢史論集』,(10) 壁画羅漢図に言及した論文および作品解説のうち,近年のものを挙げる。壁画羅漢図解説『解説版新指定重要文化財1絵画I』毎日新聞社,1980年。高崎富士彦『日本の美術第234号羅漢図』,1985年11月。梶谷亮治・斑鳩寺本解説(奈良国立博物館編『平安仏画一日本美の創成ー』)梶谷亮治「+六羅漢像について」(『仏教芸術』172号)1987年5月。小林達朗・斑鳩寺本解説(『日本美術全集7曼荼羅と来迎図平安の絵画・エ上野良信「羅漢ーその美術と信仰ー」(滋賀県立琵琶湖文化館『羅漢ーその美術と信仰一』)1994年10月。(11) 吉原忠雄・吉祥園寺本解説(堺市博物館編『大阪の仏教絵画』)1995年4月。(12)百橋明穂・作品解説(柳澤孝責任編集『在外日本の至宝第一巻仏教絵画』)毎日新聞杜,1980年。アン・ニシムラ・モース,辻惟雄編『ボストン美術館日本美術調査目録第1次調査』講談社,1997年。1981年。1986年4月。芸I』)講談社,1991年6月。-532-

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