⑭ サミット,その世界性についての試論nor西南の都蘭の吐蕃墓から多量に出土した錦は,アスターナ錦との直接的な関係に研究者:古代オリエント博物館研究員横張和子先に,平成7年度の鹿島美術財団研究助成により計画された日中共同の「中国トルファン,アスターナ古墳出土の錦(5■8世紀)の調査研究」は,中国から提示されてくる研究分担費が限度をはるかに超えるものであったために,他の機関に移され,平成9年8月下旬から9月上旬にかけての約3週間,現地新橿ウイグル自治区博物館において50数点の錦及び綾の閲覧調査が実現された(注1)。写真撮影は中国側で行われ,我々がのぞむ織物の細部の接写は完全に拒否された。織物の細部はその織物の真実に迫りうる魅力的な情報源である。そのためルーペを使っての綿密な観察記録が続けられた。採光のあまりよくない部屋であったから,連日のこの作業は目にこたえた。とは言え,事前に論考2題をもうけており(注2)'調査要請資料はその付図より選択されたものであり,その正否の確認が目的であったから,その限りにおいてー,二が訂正された以外は,他に大過ないことが確かめられ,補強もされ,さらに予想外の発見もあって,この調査行は当初の目的を果したと言ってよいであろう。閲覧に供された錦は,死者の面被いの裂であったからいずれも断片であったが,いまに残る絹の光沢と美しい鮮明な色には感嘆を惜しむことが出来なかった。すばらしかった。これに対しては博物館当事者に敬意を表明しなくてはならない。現地(物)調査の強みであろう,図版では見えない細部にやはり驚きと感銘があった。模様のない単純な平絹と見ていたものが豪奢な綾であったり,同様,地色に埋もれて見えないでいた錦の模様がそこに浮かぶようにして現れていて,それが製作地と製作年代を優に示唆するものであったり,しみに見誤っていたものが織物のきずで,それがサミット製作の決定的な特徴を示すものであったり,これらの発見と印象において,わが国上代染織の源流ともなる六朝から初唐にかけての変革期の錦の特質が,えがたい知見と共によくとらえられたと思う。これとは別に,新しい情報が中国人の友人から届けられた。アスターナの錦の多くは地色が赤い,上代錦でいうところの「蜀江錦」である。それゆえ蜀地(四川省)の産とされてきた。しかしそれを証拠だてる考古学的発見を見ていなかった。わが国における呼称も江戸時代からの伝承であった。このとき1983年の青海省,青海Koko--534-
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