鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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(1921)を基準にしての,世界サミットの再編成である。ファルケ図録の主にヨーロSammlung des Koniglichen Kunstgewebe-Museums 4 vols Berlin (1900, 1913) CD-ROMに保存される。古代織物の,特にその技術研究でもっとも信頼されるのおいて,我々には睦目すべきものであった(注3)。都蘭は吐谷渾時代(5■7世紀),蜀からトルファンに通じる道の中継地で,ペルシア人やソグド人商人が吐谷渾に付き添われてこの道を頻繁に往来したという(注4)。これを報告した若手「気鋭の」中国人研究者と東京で会った。彼はその後アメリカに招聘され,この秋にヨーロッパ経由で帰国とのこと。来年あけにこの研究の補充のために,彼が副館長として在職する抗州市の中国絲網博物館への訪問の意向を伝えてある。当研究者が上記調査などを下位作業とし,最終的に仕上げようとしているのが,『サミット•IとII』である。そのr.「サミットの成立ー中国の場合ー」は,この報告書と共に期日を同じくして古代オリエント博物館紀要(18巻,1997)に投稿される。中国における経錦の伝統的支配のなかに,外来技法の緯錦(サミット)が成立する,その経緯を見たものである。そのIIは,かつて修士論文作成にあたり指導教官から提示された参考書の一つ,Ottovon FalkeのKunstgeschichteder Seidenweberei ッパ所在の芸術的絹織物も,わが法隆寺の四騎獅子狩文錦も正倉院の琵琶袋線地大唐草文錦も,いずれもが国際的用語のサミットsamit,samitumと呼ばれうるもので,それゆえ再びわが上代染織源流考のために,その技法の発祥の地,その初期の形態,その古典的達成の地,その東西への拡散と伝播経路の問題等々が,第一部の構想につなげて再検討され,再編成されるであろう。それゆえこれまでにも情報収集をしてきたけれども,それらのデータベース化をいま計っている。また財団法人東洋文庫所蔵のJulius Lessingの豪壮な(ひとりでは持ち運び出来ない)大図録集DieGewebe-のコピーを願い出て可能となり,いまカラースライドが作成されつつある。それらはは,フランス,リヨンに本部をもつC.I.E.T.Aが行っているものであろう(注5)。そこでは各資料別に「調査票」が作成され,厳重に保管されているが研究者の要請によってコピーサーヴィスがなされる。それらを必要に応じて漸次入手すべく依頼しており,すでに閲覧調査したものをふくめたその30数点についてはPC入力に着手している。法隆寺四騎獅子狩文錦研究は期せずして古代織物の技術研究となった。すると上代-535 -

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