鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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的なものであったのではないだろうか。さらに李,榎倉康二,吉田克朗,菅木志雄らが,このような物理的な「場」の問題と深い関係を結んだとすれば,他方,成田克彦,野村仁らの作品においては,物質の時間的な変化が共通の関心として示された。ここでも物質が変容を遂げる過程や状態という,広い意味における「場」の問題が提起されたといえるのではないだろうか。もの派を物質や観念の問題ではなく,場の形成という文脈からとらえることによって,その世界的な位相はさらに明らかになるように思われる。まとめにかえてアメリカのミニマル・アート,イタリアのアルテ・ポーヴェラ,そして日本のもの派といった動向は同時代に生起し,67年のパリ・ビエンナーレ,69年のベルン美術館での「態度が形式になるとき」展,70年の東京ビエンナーレなど,当時の時代を映す鏡のような展覧会において,実際に三つの動向の多くの代表作が同じ会場に並べられた。これまで指摘した通り,これらの作品は,いずれも表現性を極端に切り詰めた点などについては概ね共通するものの,個々の作品は(各運動の内部でさえ)大きく異なり,その後,これらの作品が世界的な視野において検証される例は稀であった。しかしながら,80年代に表現主義的な動向が再興し,いわゆるポスト・モダン,モダニズムの終焉が叫ばれるようになって,再びそれらを同じ水準で評価することが可能になったように思われる。パリからニューヨークヘ美術の中心が移ったことが自明となったこの時期,ニューヨークで展開されたミニマル・アートはとりわけ大きな注目を浴び,この結果,60年代から70年代にかけて展開されたミニマリズム的な傾向の作品は,単に50年代の表現主義的な傾向,そして同時代に併存したポップ・アートに代表される再現的な傾向に対する反発と理解されることが多い。しかし,そこで提示された問題は,近接,あるいは並行する美術のみならず,広くモダニズム美術一般への批判と受けとめることができるように思われる。本研究に先だって,筆者はこれらの動向を引き継ぐかたちで登場したアメリカのランド・アートについて研究を行ってきた。本研究にこの研究を重ね合わせると,70年代後半にほぼ最終段階に達したモダニズム美術の動向に対して,ランド・アートがとった批判的な距離が明らかになるであろう。60年代後半から70年代にかけてのミニマリズム的な美術によって提起された問題-45 -

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