⑮ 17世紀における日本の輸出漆器とその再利用について研究者:文化庁文化財保護部美術工芸課文部技官山崎はじめに神聖ローマ帝国の皇帝フェルディナンドI世の息子で,チロルの大公として知られたフェルディナンド・フォン・チロルは,インスブルックに近いアンブラスの城に美術品陳列室を設けていた。彼のコレクションのなかに,東アジアの漆器を模してベニスで製作されたというテーブル・トップと,黒漆地に蒔絵と螺釧で意匠を施した日本製のキャビネット〔図1〕がある。大公の死後,1596年に編まれた収蔵品目録に記載されていることから,ともにそれ以前に製作されたと考えられる(注1)。前者はヨーロッパにおける模造漆器の製作が16世紀の末までに始まっていたことを,後者は日本製漆器のヨーロッパヘの輸出が同じく16世紀の末までに始まっていたことを示す貴重な作例である。ヴァスコ・ダ・ガマが大西洋を南下し,喜望峰を経てインド洋へと至る海上の道を開拓した1498年以降,東洋の様々な商品は船による交易で直接ヨーロッパにもたらされた。16世紀には,バタヴィア,セイロン,ゴアなどで製作されたインド製家具をはじめとする木工品に対する需要も高まり,なかでもインドや中国製の漆器は高値で取り引きされる商品であった。そこに日本製漆器が参入する。布教活動のために来日したキリスト教宣教師たちが祭具用の漆器の製作を依頼し,ポルトガルやスペインの商人たちも漆器を土産物として購入したことが端緒となって,輸出漆器の製作が始まったものと思われる。漆器需要の高まりを受けて,17世紀には模造漆器が市場に流通する有望な商品として製作されるようになる。1610年ウィレム・チックがアムステルダムに漆器会社を設立し(注2)'ロンドンでも1619年以前に模造漆器の商品価値が認められていたという(注3)。ただ残念なことに,この頃の作品はまったく発見されていない。17世紀前半のドイツでも,ニュルンベルグとアウグスブルクで製作が始まったと伝えられるが,それに携わった人物に関わる資料がわずかに見いだせるのみである(注4)。実際,初期の流行のあと,製作が本格的な広がりをみせるまでには暫くの時間を要した。イギリスやオランダ,ベルギーのスパで,産業としての模造漆器の製作が軌道に乗ったのは17世紀後半のこと。ドイツでは1686年にスパの著名な漆芸家ジェラルド・剛-543-
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