1. 17世紀における日本の輸出漆器8)に若干の私見を交えて整理した後,これまでに調査した作品のうち3点を紹介し,18世紀のフランス家具における17世紀日本製輸出漆器の再利用の一面にふれてみたい16世紀末ー1620年代:南蛮様式16世紀末に生まれた南蛮様式の輸出漆器は,初期の購入者となったポルトガル人や“IHS”を表した聖餅箱・書見台・聖寵,蒲鉾形の蓋をもつチェスト,蝶番で付けた前ダグリーがベルリンで漆器店を開業し,漆器産業の黎明期を迎えている(注5)。東洋の漆器とヨーロッパの模造漆器を,共に“Japan"と呼ぶ習慣が一般化するのはこの頃で,とくに後者は“Japanning"とも呼ばれた。1688年には『ジャパニングとワニスの技法論』という技術書も出版され(注6)'やがてジャパニングは手芸という趣味の領域にまで普及する。日本の漆器が初めてヨーロッパに輸出されてから約1世紀。彼の地で漆器一般に与えられた“Japan""Japanning"という呼称が象徴するように,17世紀を通して供給された輸出漆器は高い評価を獲得した。日本製漆器を巧みに模倣したダグリーの作品が示すように,世紀末には作風の上でも,他の東洋の漆器とは明らかに区別して認識されることになる。ところが18世紀に入ると,価格高騰,品質低下を主たる原因とするトラブルによってオランダ東インド会社(以下,VOEと略す)の漆器購入が停滞する(注7)。中国では広東地方を中心に日本の蒔絵を模倣した漆器,いわゆる広東漆器が景産されるなど,ヨーロッパの漆器市場にも幾つかの動きが生じた。その一つにフランスの家具職人による漆器の再利用がある。本報告では,17世紀の日本の輸出漆器を,オリバー・インピー氏が提示した「南蛮様式(Nambanstyle)」から「絵画的様式(Pictorialstyle)」へという様式展開(注と思う。スペイン人の嗜好を強く反映している。製作の中心は,イエズス会のモノグラム蓋が前方に倒れる型式のキャビネットなどで,全体に黒漆を塗り,螺細に蒔絵を併用した幾何学的文様帯による縁取りを施し,文様帯の内側の空間いっぱいに,金を基調とする平蒔絵に螺釧を併用した技法で草花や樹木,鳥獣などの図様を充壌した意匠を基本とする。アンブラス城のキャビネット〔図1〕は初期の装飾を示す基準作である。この様式の漆器の輸出が本格化したのは1610年代のことと考えられる。日本製漆器-544 -
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