鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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が最良であるとの認識を示す手紙や記録が散見され,オランダとイギリスの東インド会社による購入が始まったからである。ただし,VOEは本国での競売が期待はずれの結果となって1616年で公式の購入を停止する(注9)。イギリスでは公売価格の高騰が続いたが,1623年に平戸商館が閉鎖されたことでイギリス東インド会杜の購入も終わる(注10)。したがって1620年代に,様式展開を促すはどの極端な需要拡大や購入者側の嗜好の変化を想定することは困難であり,その作風は,VOEが公式の購入を再開する1634年頃までは南蛮様式を基本的に逸脱しないものだったと考えるのが妥当であろう。1616年にオランダ議会からスウェーデン国王グスタフ・アドルフII世に贈られたグリプスホルム城のチェスト〔図2〕は(注11),南蛮様式を逸脱することなく,意匠構成における新しいアイデアとしてカルトゥーシュ(cartouches)と呼ばれる窓枠を取り入れた作例である。カルトゥーシュを用いた作品の多くは,内側に花樹や烏獣の図様を描き,外側に幾何学的地文様を充填したものだが,他に蒔貝,鮫皮,丸紋を配した作品がある。幾何学的地文様,鮫皮,丸紋は,縁取りの内側に単独で充填されることもあった。こうした文様の多様化は,輸出が本格化した1610年代,1620年代の傾向と思われる。1630年代ー1640年代:過渡期1630年代には南蛮様式の輸出漆器も製作されていた。底板の墨書から1636年以降の製作と推定されるイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館所蔵のチェスト〔図3〕は明らかに南蛮様式に属すものであり,いわば既製品としての存在が確かめられる(注12)。しかし,1610年代のオランダにおいて既存の南蛮様式が受け入れられなかった経験から,1634年に公式の漆器購入を再開したVOEは様式に変化を求めた。その彼らの美意識は個人購買者向けに製作された特別注文品に顕著に示されている。代表的な作例として,1630年代後半の製作と推測されているヴィクトリア&アルバート美術館所蔵の「ファン・ディーメンの箱」〔図4〕を見てみよう。1636年から亡くなる1645年までバタヴィア総督だったアントニオ・ファン・ディーメンが妻に贈ったもので,各面を金銀平蒔絵と金貝による花唐草文の文様帯で縁取り,内側の黒漆地には,薄肉金高蒔絵に金銀金貝・切金を交えた伝統的技法で,王朝貴人の館,船遊びなどの古典的な図様が描かれている(注13)。国内市場の蒔絵作品との関連も指摘される作風は,南蛮様式とはかけ離れた趣を有し,黒漆と金蒔絵の鮮やかな対比が,や-545-

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