⑯ 日本の煎茶文化における中国美術受容の変遷について研究者:大阪市立美術館主任学芸員守屋雅史1.はじめに現代の私たちが用いる「煎茶」という言葉は,広義には抹茶に対する葉茶を用いた「お茶」を,狭義には緑色の茶葉を湯に浸してその成分を抽出させた「お茶」を指している。「煎じる」とは「何かをよく煮てその成分を湯に出すこと」だから,前述の「煎茶」についての使い方は,漢字の意味からは正しくはない。ちなみに江戸時代以米の用語では後者は「滝茶」が正しい用語である。いわゆる「煎じる」茶について考えるならば,陸羽や慮仝が活躍する中国唐代の「茶」は,「茶を煮る」という表現があるようにまさに「煎じる」茶であり,平安時代にわたってきた茶の飲み方もおそらくは唐代の「煎じる」茶であったと考えられる。ところが,中国宋代の喫茶法の影御を受けて室町・桃山時代に盛んになった日本の喫茶の方法は,茶苑によって抹茶を泡立てて喫する方法であったために,「煎じる」茶の展開については従来等閑視されてきた。近年の熊倉功夫氏の研究(注1)では,桃山時代の社寺参詣曼荼羅などに描かれる茶売りは,「抹茶」ではなく「煎じ茶」を商っていたと考えている。茶葉を布の小袋に入れ,釜で煮出した液体を茶碗にうつして,「ぶくぶく茶」のように茶苑で泡立てた「お茶」を熊倉氏は「煎じ茶」と考えており,江戸時代後期の浮世絵などに描かれた茶店の「お茶」もこのような「煎じ茶」であった可能性が高いことを指摘している。もちろん茶葉の性質に応じて茶究を用いる喫茶法が変化することは充分考えられるが,「煎じ茶」の形態は大筋このような小袋を用いた「釜出し茶」ではなかったかと考えられる。ところで,本稿で取り上げる「煎茶」あるいは「煎茶文化」は,こうした桃山時代以来の庶民の生活に根付いた「煎じ茶」の素地のうえに,江戸時代になって中国南部から日本にもたらされ,文人と呼ばれた知識人層によって日本的な改良が加えられた「葉茶を用いた喫茶法jによるところの「お茶」あるいは「そのお茶にまつわる文化現象」を指している。そして本稿の意図するところは,この「日本的な改良」とは何であったのかということを中国製の煎茶道具(特に宜興窯産の茶注)の取捨選択の観点から解明することにある。-557-
元のページ ../index.html#567