数の関係で割愛するが,近代の大煎茶会(著融)はそれぞれの席を主催する亭主の審美眼に沿って,大量に流入し始めた本流の中国美術品を煎茶の諸道具として飾りかつ使いながら,中国本来の煎茶とは全く異なる美的空間を形作っていった。江戸時代にはいささか俗悪な趣味に流れるような諸道具が煎茶書の挿図には散見するが,こうしたものは近代の大煎茶会(著諮)では次第に淘汰されてくる。そうした近代煎茶の個々の諸道具については長谷川灌々居・西園寺歩・佃一輝氏の研究(注7)があるが,この時期の煎茶道具は,端正な造形性と精緻な装飾性,深みのある色合いを基調に,あるものは本来の用途とは無関係に煎茶の道具として選択されている。中国文人垂涎の文房具を「文房飾り」と称して煎茶席の待合いの書机の上に飾り付けたり,本来は祖廟の祭器としての酒器や貯蔵器や煮沸器であった殷周時代の青銅器を花生や香炉や火炉に使用したりする発想は,近代煎茶文化の日本化した審美的な側面を端的に示している。まさにコンテンポラリーな美意識に基づいて,様々な時代に制作された作品を組み合わせることによって,全く新たな美的空間を「清風」のキーワードを通じて創出しているのである。そしてそれは次第に文化文政期の文人文化への屈折したあこがれを内包しつつ展開する(注8)。厳格さを秘めた中国文人書画の需要の高まりの中で,茶席の床の間に架けられた中国書画が,中国書画展観席という大広間の展覧会場として独立し,ある種日本的な叙情性を帯びる竹田・山陽・木米などの文人書画の評価が増してゆくと,文人書画というだけで本来煎茶とはあまり関連のなかった与謝蕪村(1716■83)・浦上玉堂(1745■1820)などの作品が異常なほどの人気を博し,以前は道具として利用していた殷周時代の青銅器や明清時代の花瓶が,観賞するだけの作品へと変容してゆくのである。最後は,本来の近代煎茶の審美性からは一種の「いやもの」として避けられたかもしれない木米陶の煎茶道具が,文人青木木米所産の作品として急速に評価が高まるのである。茶席において中国所産あるいは中国的趣味の諸道具を様々に取り合わせることによって日本的に変容した新たな美的空間を創造することと,展観席において中国所産あるいは中国的趣味の純粋な美術作品としての審美性を鑑賞することという2つの側面が,近代煎茶の大きな特色となるのである。3.煎茶道具における中国美術受容の変遷煎茶道具における中国文物の受容の変遷を最も端的に示す例として,江蘇省宜興窯-561-
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