記されている(私はLARTHIIACA VIS PURTIEの鏡である)。多くのエトルリア青銅鏡と同様,この鏡も墓に副葬品として収められる前,故人となった裕福なエトルリア女性によって生前使用されていたと見られる。殆どの場合,鏡は女性の墓を示唆する典型的な副葬品である。筆者が日本の美術館やコレクションで知見したエトルリア青銅鏡はすでに5点を数えるが,これらの鏡は,新しく刊行されたエトルリア青銅鏡集大成の補遺として公表されるべきであろう。高さ:1.05m; 幅:0.48m;石灰岩紀元前7世紀;出土地不明この,比較的良く保存された,プーリア地方の石灰岩製墓標は,シポント式と呼ばれる一連の刻線装飾墓標の一つに数えられるが,日本においては今日まで唯一の例証である。矩形の表面は,元来は彩色の施されていた刻線画でおおわれており,かつてその上端には,故人のごく抽象化された立体的頭部がのっていたと見られる。刻線画は,菱形や三角形など,一部は幾何学装飾的で織物文様と解釈されるが,また一部は形象によるもので,例えば一人の騎手の姿が認められる。プーリア地方考古文化財監督局の専門家によっても確認されたように,この墓標は疑いもなく正真正銘の原作である。人間を形どったシポント式墓標は,紀元前9世紀から紀元前6世紀(主に紀元て普及したが,それも特にシポント一帯(今日の県庁所在地フォッジャの東)を中心とした。この一連の墓標の例証は約1500点知られ(といっても断片的な例が多いが),その大部分がマンフレドーニアのシュタウフェン城の考古学博物館に保管されている。マリア・ルイザ・ナーヴァによる集大成ともいえる著作『ダウニアの墓標』(フィレンツェ1980)は,その殆どを収録したものである。プーリア地方の彩色幾何学装飾陶器とともに,これらの墓標は,ローマ以前のプーリア地方の最も重要且つオリジナルな考古遺産に数えられ,ダウニア人の衣服,装身具,武器,騎兵,航海,戦争,宗教,祭礼,そして来世観についての豊富な情報を提供している。長さ:42.5cm; 幅:23.5cm; 商さ:28cm2.シポント式刻線装飾墓標〔京都,ギリシアローマ美術館蔵,図3〕前7• 6世紀),つまり鉄器時代初期にプーリア地方北部(=ダウニア地方)に限っ3.ヴィッラノーヴァ式小屋型納骨容器〔天理大学付属天理参考館蔵,図4〕_ 577-
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