⑥ 俵屋宗達研究への新たな指標ー烏丸光廣の花押をめぐって一一研究者:出光美術館学芸員笠嶋忠幸烏丸光廣(1579■1638)は,桃山時代から江戸時代初頭にかけて活躍した堂上公家で,当時を代表する歌人として注目される人物である。その一方,能書家としても目覚ましい活躍を遂げており,大いに脚光を浴びたのであった。彼の独創性に富んだ書の才能は正に天性のもので,彼の手がけた華麗な作品の数々は,それまでの伝統的な日本書道史を一変するものであったといっても過言ではない。そして彼の才能は,当時の鑑定家としても発揮され,その筋では第一人者の格にあった。この事実は,何より光廣の書に対する見識の高さについて,公が認めていたことを物語るものであり,延いては書家・光廣の存在の史的意義を示すものでもある。例えば今日に伝わっている絵巻や古筆類の名品に,光廣はしばしば「極め書き」を行っており,公的な箪跡鑑定士の任にあったのである。たとえば伊勢神宮蔵「伊勢新名所歌合絵」奥書,ボストン美術館蔵「吉備大臣入唐絵巻」奥書など優れた絵巻に見られる例をはじめ,古筆関連のものでは三の丸尚蔵館蔵「堤中納言集」巻末極書,白鶴美術館蔵「伝藤原俊成筆・了佐切」付属極書徳川美術館蔵「藤原定家筆書状・山門状」付属極状等々と,その数は現在でも数十点余に及んでいる。本稿では上記の中から,主に現状確認ができ,かつ年記と花押を具備する用例を取り上げて編年する。そしてその結果,花押の形態が変遷してゆく過程を具体的に分析し追ってみる。この一連の作業を経てできあがる指標は,主題に掲げたように,実は俵屋宗達の画風変遷過程を検討する上での,重要な鍵となるのである。周知のとおり俵屋宗達画(以下,「宗達画」)の研究は,その基本史料が極めて少ないことから,落款および印章や画風の具体的な比較検討を主に進めざるを得ない状況にある。今日の研究ではエ房制作説が前提となって宗達の下に何人かの弟子を想定しながら,いくつかの作品については宗達の作品ではなく弟子の作品とする説も出されている(注1)。その為宗達画研究の近況は,新出作例を含む諸作例の制作年代について,極めて詳細な検討が求められる段階にある。こうした現況を前提に,本稿で烏丸光廣の使用した花押形態を編年する眼目は,より客観的に個々の「宗達画」の制作年序-49 -
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