鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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⑱ アーティスツ・ヴィレッジ研究者:沖縄県文化国際局文化振興課主査(県立美術館建設準備担当)沖縄が日本に復帰したとき,小学校4年生だった。ある朝,担任の先生が言った。「今日から,あなたたちは日本人です。日本人らしくしましょう。」以来,私のアイデンティティは揺れ続けている。ーアイデンティティーアジアの現代美術を考えるとき,中心と周辺の関係という視点は重要なものである。それはまた,支配する者と支配される者の関係に置き換えることもできよう。アイデンティティという言葉は,しばしば中心に存在する者にとっては,「オリジナリティ」とか,「インディビジュアリティ」などと混同され安易に語られたりする。しかし周辺の帰属する集団が曖昧な,または流動的な者にとっては,それは集団を強く意識したものとならざるをえない。多くの場合,その帰属する集団は,個人にそれを選ぶ機会は与えられず,外部から否応なく強要され規定されるものである。その帰属する集団といかに関わっていくのか,その集団の中で期待されている役割や果たすべき責任は何なのかを個人は常に自問自答することを要求されることになる。東南アジアの20世紀は,ナショナリズムの時代であったといわれる。ナショナリズムは20世紀東南アジアの時代精神であり,政治はもちろんのこと社会も経済も文化も,この時代精神をめぐって展開されてきた。最も典型的な例ともいえる実験国家シンガポールでも,政府の強力な指導により国民国家を形成する作業が進められ,シンガポーリアン(シンガポール人)という新しいアイデンティティを求めて,またそのシンボルとしての国民文化の形成を目指して,様々かつ具体的な政策がとられてきた。ナショナル・ミュージアムの使命のひとつに,ナショナル・アイデンティティの高揚と明確に掲げられているのもその一例である。が中国人の経営する国家であることは間違いない。中国的家長支配制度がその成功の秘訣であるともいわれる。しかし,多民族国家シンガポールは周辺諸国との微妙な関80%近くを占めるその圧倒的な人口の比率をみれば明らかなように,シンガポール前田比呂也-580-

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