Wuと彼の結成した美術家集団アーティスツ・ヴィレッジArtistsVillageである。1997年4月から98年3月の約1年間,シンガポールに滞在し,ダウとアーティス係から,民族間の文化,宗教,生活習慣などに対して平等であるよう細心の注意を払う。このような状況下では,それら民族個々の伝統は尊重されるものであり,それを批判することは一種のタブーとなる。こういった条件は,美術界にも影響を及ぼし保守的かつ微温的な傾向が続いた。そこに,一石を投じたのがタン・ダウTangDa ータン・ダウート・ヴィレッジに参加した美術家たちの調査を行う機会を得た。ダウとの最初の出会いは,サブステンションという民間のアートセンターの一室で催されたセミナーだった。それはアーティスト・ヴィレッジのメンバーのリー・ウェンが企画したものだったが,ダウ塾とも呼ぶべきこの定期的な集まりの様子が,シンガポールの若い美術家たちへのダウの影響力を象徴していた。小さな教室で,スライドを用いて自作についてダウが語る。ダウの説明に対して若いアーティストから質問が起こる。ダウは決して決定的な答えにならないよう注意しながらその問いに答えていく。するとまた別の若者が発言する。それぞれの意見を交換し批判しあいながら,それぞれの思考は自分自身の内面へと降りていく。翌週の集まりでは若いアーティストが自作を紹介した。このときダウは出席しなかったが,発言者の言葉の端々にダウの言葉の引用があり,まるでダウがそこにいるかのようであった。その時点での私は,アーティスト・ヴィレッジの活動は1992年のホン・ビー・ウエアハウスでの「ザ・スペース」展を最後にすでに消滅していると考えていたから,この追体験は貴重なものだと興奮した。—ーアーティスツ・ヴィレッジ一ここでアーティスツ・ヴィレッジの成立とその活動を振り返ってみる。ナショナル・ミュージアムの主催で,第5回アセアン・ユース・ペインティング展がシンガポールで開催されたのが1987年6月であった。アセアン各国(参加国は6カ国:ブルネイ,インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイ)から参加する若手アーティストにホスト国のマスターアーティストを教師にワークショップを行うというユニークな展覧会である。このとき,シンガポールのマスターペイン-581-
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