鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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ンU」,「パフォーマンスウイーク」への参加,93年7月には「第2回彫刻セミナのこだわりは,国家の言語政策と深く関わる。彼らが初めて学んだ言語は英語であり,親を含めた中国語しか解さない年長者とうまくコミュニケーションできず,政策が変わった後のその下の英語と中国語を自由に操る世代との間で宙吊りになる。アーティスツ・ヴィレッジに設立当初から深く関わってきた唯一の女性作家であるアマンダ・ヘングは,コミュニケーションの問題を自分自身と母親,母と娘の関係から考える。父親に従い,結婚後は夫に仕え,家を継ぐ息子達を大切にする母親。常に満たされない娘達。そういった役割を担わせられる女性。この関係は,男性中心の保守的なシンガポール社会そのものでもある。また,最近作の「レッツ・ア・チャット」は,ギャラリー中央に置かれたテーブルに訪れた観客が座り,作家と一緒にモヤシの根を摘みながらそれぞれが自分自身について語るというパフォーマンスである。住み慣れたカンポンから,HDBフラットと呼ばれる国民の9割近くが住む政府住宅開発局が建設した高層の公共団地へ移住させられ,コミュニティーや土地,さらには記憶から引き離される人々。新しい住居でのコミュニケーションは,特に年長者にとっては困難なものになる。住空間に取り残された老人や専業主婦たちがいかなる手段でこの問題を克服しているのか,その様子を作家はギャラリースペースに再現する。リーウェンのイエローマンのパフォーマンス。黄色はアジアでは様々な具体的イメージを思い描かせる。仏教僧侶の衣,母なる大河,黄金や皇帝の象徴であり,なにより肌の色を意味する。イエローマンは旅を通して海外の華僑とであう。かつてダウは彼自身をシンガポール人ではないと言い自らのルーツの中国文化に目を向けた。しかし,リーウェンにとって「パースペクティブが違い,うまくコミュニケーションを取ることができない」海外の中国系の人々との出会いの旅は,中国人というルーツでは括れないシンガポール人である自分との出会いの旅でもあった。アーティスツ・ヴィレッジとは一体何なのか。おびただしい情報を私に提供してくれたコウは,現在の政府当局に公式に登録されたアーティスト・ヴィレッジの会長になった。新しい若い仲間をメンバーに加え,その活動を展開していこうとする彼にとって,アーティスツ・ヴィレッジはソサエティであるのだろうか。かつてのような勢いはもう見られないが,92年8月の「アートイ-」,96年には「TourDe Art Lah」と,アーティスツ・ヴィレッジとしての活動を-585-

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