鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
596/711

リードし継続させている。同様に,セミナーやワークショップを企画しながら,アーティスツ・ヴィレッジのような場を引き継いでいこうという試みと,シンガポールを離れなければならないかもしれない個人的事情との間で苦悩するリー・ウェンの姿。10年ぶりにシンガポールの女性の作家を集めてグループ展を企画するアマンダ。彼らの活動を応援しながらも,アーティスツ・ヴィレッジはスペースであり,ソサエティになってはいけないというダウ。それぞれのなかで,アーティスツ・ヴィレッジが形を変え,役割を変えていく。東南アジアの各地で美術家の,グループによる活動が盛んに展開されている。この現象は何を意味するのか。グループで活動するということは,そこに小さな社会を形成することに他ならない。数々の実験的試みを行い大きな成果をあげたアーティスツ・ヴィレッジは,中国系シンガポール人と白人を中心としたグループであった。もちろんそこに排他的な性格はなかったし,積極的に他民族も受け入れてきた。事実マレー系,インド系の美術家の参加もあったが,それはあくまでもゲスト的なものにすぎなかった。このことは中心と周辺の関係が相対的なものであることの象徴であり,これが集団であるアーティスツ・ヴィレッジの限界であったのかもしれない。アーティスツ・ヴィレッジの多くのメンバーと同様,私も60年代の初めにオキナワで生まれた。我々の世代は,沖縄戦の記憶はもちろんなく,戦後の異民族支配の実感も薄く,復帰運動に直接参加したわけでもない。ただ与えられた復帰後の「本土化」政策の中で日本人になるべく教育を受けてきた。政策を進めていた世代は,沖縄と本土(日本)の違いを格差と捉え,それを埋めることに取り付かれていたようである。また,逆に他所からやって来た者の目に写る沖縄像の中で翻ろうされた大勢の沖縄ナショナリストたちの姿も,我々はどこかさめた目で見てきた。沖縄をことさら意識せず,沖縄に劣等感もまた特別な意味も持たせず日本のなかのー地域と捉える世代としてつくられてきた我々だが,実際には,個人である前に沖縄という集団の一員としての姿勢を問われる様々な厳しい社会的現実に直面することも多い。曖昧で移ろいやすいもののなかに,自分自身をしっかり自覚し主張することを強いられることが繰り返される。東南アジア諸国でも,独立や革命を直接に体験しそのことを共有してきた世代から,独立後に生まれ育った世代への大規模な世代交代が各分野で,いま一斉に起こりつつある。美術においても,独立後の「国民国家」に生まれ育った世代の活躍が目覚-586-

元のページ  ../index.html#596

このブックを見る