Kwok Kian Chow『Channels& Confluences』SingaporeArt Museum, 1996年ましい。ダウの創設したアーティスツ・ヴィレッジの活動を調査しながら,私の関心は,そこで育った「シンガポーリアン」の美術家達が,今後,激しく揺れ動く社会との関係のなかからいかに個を確立していくかということへと向かっていく。シンガポール人でない私が,けして彼らと同じ視線を持ち得ることはないという前提のもとに,彼ら同様,私もまた自身の足元を問い直し続けながら,共に歩んでいかなければならない。その姿勢は,シンガポールのみならず,この一年で触れ合ったマレーシア,インドネシアの作家たちのこれからの活動,さらには国家や地域,民族といった括りとは別の同一集団内に存在する様々なエスニックグループの活動と関わっていく場合でも同様である。そのとき,ダウの言った象徴的な言葉,「芸術でも芸術でなくてもかまわない。大切なのはシリアスであること,執念を持つこと。」が,芸術家の社会との関わりを示す以上に,私たちひとりひとりの在り方を考える上での,ひとつの判断基準となるのは確かなようだ。参考文献都築悦子「民族と自然のはざまで」『アジア現代作家シリーズVタン・ダ=ウ展』福岡市美術館,1991年土屋健治「ナショナリズム」『講座東南アジア学東南アジアの思想』弘文堂,1990年-587-
元のページ ../index.html#597