鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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代を,絞り込むための新たな指標づくりに他ならない。これを基盤に「宗達画」画風展開の検討が,これまでより確実に進展する一助となればと考える。二,伝存する光廣花押烏丸光廣の手がけた奥書,板書作例の内,花押を伴う例は現在三十二点が確認できている。【資料1】には用例一覧を掲げた。調査,現状確認については,一部所在の確認できないもの等があり,それらは図版上の確認にとどまっている。その他実見し,精緻な調査に及んだものを中心に,これ以降,具体的な報告をおこなってゆく。【資料l】中,二十一例に年記がある(ただし二点は模写例)。【資料2】には,年記の古い用例から図版とともに順に並べて編年した。それでは花押用例を形態から分類してゆこう。(一)形態の変遷花押の形態を大きく分類すると第1から5期に分けられる。まず第1期の形態と第2期の形態では,その間に歴然とした筆意の相違が認められるが,ここでは書き出し部分の書き方が少々変わったにすぎない。【資料2】の第1から3期を見ながら,花押の形態を具体的に比較してみよう。慶長・元和年間では緩やかな孤状の線で斜めに筆を打ち込んでいたものが,寛永二年ごろからは筆を横ー文字へ運んで,乙字形の蛇行線を作るように変化している。そして寛永七年の例では,乙形部位,書き出しの部分が「フ」の形状から「ソ」の形状に変わっている。また花押全体においても,形状は慶長・元和年間の用例よりも簡略化されている。なおその他の部位である二回の旋回部分とつづけて三角形状に形づくる部分については,形態,筆画数ともに大きな変更は認められない。ただし旋回の部分は,行書体風の筆致で書かれたものを楷書体風に直しており,旋回の形態が直線的な三本の横線(「三」の形状)に変化している。このような展開からみて花押形態が大きく変わりはじめるのは,寛永七年ごろからであろうと想定される。次に寛永七年以降であるが【資料2】でみる限り,第3,4期は形態移行期といえる。残念ながら寛永八年の例が現在見つかっていないが,この前後にあたる寛永七年の花押形態は第1,2期の形態から一歩進んだ様相を示しており,また第4期の窯永九年の形態になると形態はがらりと変り,より複雑な様相を呈している。しかしそれぞれの形態について筆順から比較分析すると,意外にも実に自然な変遷過程をもって-50 -

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