注(1) 帆足家伝米田能村竹田作品資料26件45点は1997年3月より大分市所蔵。(2) これを示すものとして杏雨が制作した春琴画や中国画の写し,同宿していた草坪の作品「斜風細雨図」(文政後期頃)と同図様の「清渓書屋図」(文政12年)などが残されている。(3) 「風雨赴約図」は,同図様の杏雨が作成した明画〔図6-2〕の粉本から,構図のはか,樹木や舟,人物などのモチーフの多くを引用し再構成している。また「夏山姻雨図」(天保8年)も静嘉堂文庫所蔵の王建章筆「米法山水図」の粉本を参考にしたと考えられ,同図様の草坪の作品「夏山欲雨図」(天保2年,静嘉堂文庫所蔵)も存在する。(4) 『大東急記念文庫善本叢刊第十五巻美術書集二』(汲古書院,昭和53年)所収『模古画式』229頁掲載の漁夫の図。他にも多数杏雨の作品と同様のモチーフや表現が確認でき,杏雨は草坪と共通の教材から,中国画を学習していることがわかる。(5) 現在帆足家本家に伝来している中国の山水図7点の内6点が浙派系の明清画であり,又,大正14年の野上弥生子の記録(『改造』,大正14年)によると,当時同家には戴文進の作品の他,浙派系の呂澗成や藍瑛の作品も存在しており,杏雨が身辺で北画系の中国画に接していたことが推測される。(6) 『模古画式』の「饗頭」の頁は,特に引用画人名の記入は無いが第2期の作品に引用された北画的な蓉頭法と樹法をまとめている。「宇門膝車馬人物橋梁」では,図様と共に48名の引用画人名が記入されているが,ここでは草坪の『撫古画式』との共通図様が全体の3分の1にあたるおよそ40箇所,及び共通画人名が23名確認できる。しかし図様が同じでも両者間で引用画人名が異なる箇所,片方だけ画人名を記入している箇所も合わせて10箇所はど認められる。両者はタイトル名からも何らかの関連性があるのは間違いなく,おそらく文政11年から12年,草坪と杏雨が浦上春琴周辺にいたころ,両画式のもととなる画譜が存在していたと思われる。主要参考文献・『豊絵詩史』(小栗憲一著,明治17年).『杏雨余滴』(帆足進編,大正元年)-595-
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