(二)異種の存在以上に分析した変遷過程は,厳密に言えば主流形態の変遷過程であって,同じ時期に二種類以上の花押が用いられる可能性が有る場合は,慎重をきさねばならない。結論から先に言えば,可能性は有ると考えている。たとえば寛永九年の例【資料1-10】は,すでに寛永十一年の用例に近似した形態が存在している。そして寛永十三年にも一例があり,現時点では,寛永九年以降に異種の併用があるということになる。主流との相違点は,第一に乙字形部分の書き出し部分が,簡略化し,横ー文字に一筆おくるところが,一点で表現されている。第二に署名から花押を書く間で改行をおこない,署名の横へ花押を添える書式となっている。改行をするかしないかは,些細な点であるが,これこそ極めて重要な点で,署名から花押にかけて改行をする場合は,筆運びの自然な流れも助けて,花押の書き出し部分の形態が必然的に異ならざるを得ない状況がある。したがって主流とこのような異種の形態(形状や構成)を同列に取り扱うことはできない。ただし形態上から見て,異種の花押形態は寛永七年の形態から変化したものと思われ,第5期の形態が定着をみる寛永十一年の形態を先取って登場したものと考えたい。三,「宗達画」制作時期検討への援用第二章では,具体的な花押形態変遷の図を掲げ,その詳細を説明してきた。そこでこの章では,本稿の目的である「宗達画」制作時期の検討にむけて,先掲の用例を参照しつつ,二つの「宗達画」【資料4】について制作年の絞り込みを試行してみる。(一)頂妙寺蔵「牛図」周知の通りこの牛図は論議が喧しいものであるため,最初に検討上の条件を明示しておきたい。ここでは二幅の内,向かって右側に常時おかれる和歌賛の牛図を取り上げて検討してゆく。常時左幅としておかれる詩文賛の牛図については,特に花押の部分へかなりの補墨があるようで,当初の形態を復元想定するのは困難であると判断し,ここでは控えたい。また既に報告されているように,賛文と牛図を描く部分との間に紙継ぎが確認されている。この点は極めて大きな問題であろう。しかし紙の質感は同等であり,多少の疑問は残るが,伝来の途中でなんらかの事情から今の形になったと考えたい(注2)。-52 -
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