鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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⑮ 金剛寺蔵日月山水図屏風ー一東アジアにおける日月山水図屏風の伝統の探究研究者:コロンビア大学大学院博士課程慶応義塾大学訪問研究貝日本に現存する日月山水図屏風の最古の例である金剛寺本は,日月図屏風の歴史的発展の解明にとって重要な作品である〔図1〕。この屏風には,日本的な要素と中国的な要素,聖と俗のイメージ,絵画的,工芸的技術が奇妙に混在し,その多元性の故に,この作品を軸に,他の日月山水図屏風を秩序づけて理解することができる。その内包する複雑さと多くの特殊な側面のために,この金剛寺本はまったく前例のないところから現れたようにも見えるが,よく考えられた象徴の使いかたと,絵画的な技術と装飾的な技術の折衷的な使用は,この作品が長く培われた美学的かつ思想的な伝統から現れて来たものだということを示唆している。筆者は本論において,この金剛寺本が,中世に活性化した大陸の芸術に対する関心から生じた日月図像とやまと絵様式とが共に復興した時期に制作されたことを示したい。同時に,日月図が同じ時期に東アジア全域で制作,輸出入されたものであり,したがって金剛寺本の重要性はただ日本固有の文脈にだけとどまるものではないことをも明らかにしたい。加えて,そうした国際的な見地から,日月図というジャンルが東アジアにおいて最も早く確立され,脈々と息づいてきた点にも注Hしたい。重要文化財に指定され,日本美術の傑作として広く認められているにもかかわらず,金剛寺の屏風は研究者達を長いあいだ戸惑わせてきた。本作には署名も,年記も,落款,印章もなく,関連資料も存在しないからである。筆者や年代の特定できる比較作品すら存在しない。しかし,金剛寺の僧侶達は,本作が灌頂の儀式に使用されてきたことを口伝している。このことは,本作を,やまと絵様式によって描かれた他の山水図屏風の伝統,ことに,宮家によって密教寺院に残されたのち灌頂の儀式に使用されるようになった屏風の伝統の中に位置づけていると思われる。本作の出自はこのように謎に包まれてはいるが,その制作年代については,様式,技術的な分析,直観的な判断に基づき,一般的に十五世紀後半から十六世紀初頭の間と考えられている。さらに,使用された画材の貴重さ,様式の多様さ,技術の確かさなどから,制作者は非常によく訓練され,しかも幅広く技術を習得した者のように見受けられる。また,日月の図像,象徴的な構図構成,作品の持つ精神的な力は,概念ミッシェル・バンブリング(MicheleL. Bambling) -634-

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