ことができる。おそらくこうした様々な要因がからみあってやまと絵の日月山水図屏風誕生に貢献したのであろうが,金剛寺本に見られるような,たんに記述的でも装飾的でもない,構想として非常に洗練された日月図像の使用は,それ以前に存在したであろう成熟した伝統を感じさせる。この伝統の存在は,先に挙げたいくつかの要因では説明しきれない用途として用いられたという推測を裏付けてくれる。金剛寺の屏風において日月の図像は,道教の概念的な枠組みに完全に組み込まれている。その枠組みとは,四季の構図と四方位の合致(注5)'陰陽(月と日,山と海)の要素の対照,五つの連峰と五岳信仰,五元説の相応,海から立ち上がる山によって暗示される蓬莱山(東の海中に浮かぶ仙人たちの住処)である。それにくわえて空,陸,海を巻き込んで画面全体を覆うほとんど霊的と言ってもいい力は,道教的な宇宙に渦巻く全ての要素が芋んでいる偉大な力を思わせる。金剛寺本が示すこのような道教的な意味をもつ多くの層が,道教的意味をもたない先例からの引用であるという仮説に対して疑義を投げかけているように思われる。むしろ,金剛寺の屏風は,シルクロードに沿って広がった国際的な文化圏にまで遡る長い伝統に属するものなのかもしれない。中国甘粛省天水市において発見された六世紀後半から七祉紀初頭作の埋葬用の石屏風は,その伝統風絵の形式の中に描かれるという伝統の嘴矢となる実例である〔図4〕(注6)。十一扇からなるこの屏風は,埋葬用の中央に設えられた台座を三方から囲み,死者のための背景をなしている。屏風の正而は北に而し,日の図像がある右翼が墳墓の東側に,月の図像は西側になるように置かれている。日には金箔による表面加工があり,月にも変色した銀の跡を認めることができる。彫と彩色によって描かれた場面の連続は,春から秋への季節の移り変わりを表現しているように見え,日と月とその季節はどれも方位にしたがっているようである。つまり,死者の台座を取り囲むこの屏風は,日月と季節が死者の回りを循環する永遠の世界をつくりあげているのである。こうした天水市本の数々の要素,即ち,日月の図像,山水の風景,移り変わる四季,道教的なモチーフ,金箔の使用,儀式の背景としての役割は,金剛寺本にきわめて近い特徴を示している。勿論,金剛寺本の作者が天水市本を直接見知っていたとは考えにくい。しかし,間おそらく確かだと思われる,寺院での儀式において権威ある人物の背景日月図像と風景とが屏-636-
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