注(2) 日本において日月のモチーフを配した現存の最古の屏風は,当麻寺所蔵の「+界(5) 金剛寺本の季節の移行の順序は,やまと絵の伝統の中では例外的で,むしろ中国(3) 家永三郎『上代やまと絵年表』,墨水書房,1966年間において使用されていたのである。その名残として密教寺院に残された山水図屏風は,しばしば灌頂の儀式に転用されるようになったのだが,金剛寺日月山水図屏風も,まさにそうした転用の例であることが伝えられている。こうして見ると,日月を含むその道教的なコンセプチュアルな枠組み,儀式の背景としての用途,宮廷との繋がりという可能性は,金剛寺本を,先に見てきた中国,朝鮮半島,そして琉球の日月図屏風と密接に結びつける。そして,この類似性は,東アジアに日月図屏風の伝統一7世紀から8世紀初めに成立し,15世紀末から16世紀初頭にかけて,その勢いを増した伝統が存在したことを示している。換言すれば,その存在の故に,日月のモチーフがやまと絵の風景に適用された金剛寺本の作例がありえたのではないだろうか。そうだとすれば,金剛寺本が,やまと絵の伝統の中で重要な作品であるだけでなく,より長大な東アジア全体に連綿と続く屏風絵の伝統においても意義深い作品であることは明らかである。(1) 秋山光和「唐代敦煽壁画にあらわれた山水表現」,『中国石窟敦煙莫高窟』第5巻,敦煉文物研究所編,平凡社・文物出版社,1982年図屏風」。これによって,14世紀までに,六曲屏風に日月のモチーフが現れていたことがわかり,金剛寺本の先駆とも見なされるが,日月のモチーフは全体の中でさほど重要な位置を与えられてはいない。(4) 対形式の屏風の登場とともに,右隻,左隻の対照を見せる主題が好まれるようになる。日月のモチーフは,明暗,昼夜の対照を含むために,この傾向によく合致した。また,対形式の屏風の発達は,紙本による屏風の増加を招き,平安以来の料紙装飾の伝統が,大画面に導入されるという結果になった。やまと絵屏風における金,銀,雲母の頻用は,この傾向が反映されたものであるが,日月のモチーフも,日の暖かい光を表すための金,月の冷たい光を表すための銀の使用を通じて,この新傾向によってさらに発展した。の水墨画の伝統に合致する。やまと絵の伝統では,両隻を通じて直線的に季節が-641-
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