(6) 拙論「甘粛省天水市発見の隋末唐初の日月屏風について」,『仏教芸術』222号,1995(平成7)年9月,pp.15-40参照。発掘調査報告については次の論文を参照33. (10) 韓国美術史論著目録(1890-1994)36号,1971(昭和46)年3月,参照。壁画の作者は不明だが,中国から渡来したPresentation Pictures and His Professional Status, " The Art Bulletin, vol. LXXVI, no. 2 (June 1994), pp. 279-300; Wai-Kam Ho, "Nan-Ch'en Pei-Ts'ui, Ch'en of the South and Ts'ui of the North," The Bulletin of the Cleve-land Museum of Art, vol. 49, no. 1 (January 1962), pp. 2 -11. the Muromachi Period (1333-1573), " Artibus Asiae, no. 45 (1984), pp. 5 -(New York : W eatherhill and The Asian Society Galleries, 1994). Illuminating the Tradition of Yamato-e'Sun and Moon'Screens, " Orienta-移行するのに対して,金剛寺本では円環をなすからである。このパターンは,静嘉堂文庫所蔵の伝周文作「四季山水図」にその例を見ることができる。この円環的な配列は,道教の陰陽五行説に関係しているかもしれない。何故なら,同説によれば,一年の循環は東の春で始まり,南の夏,西の秋,そして北の冬で終わるからである。金剛寺本の季節の配置は,この約束と一致する。のこと。張舟英「天水市発現隋唐屏風石棺床墓」,『考古』,1992年,pp.46-54(7) Anne Burkus-Chasson, "Elegant or Common ? Chen Hongshou's Birthday (8) Bettina Klein, "Japanese Kinbyobu : the Golded Leafed Folding Screens of (9) Kim Hongnam, Korean Arts of the Eighteenth Century-Splendor and S枷:plicity(11) 白黒写真については,鎌倉芳太郎「砲弾下に失われた琉球の名画」,『古美術』第高位の画家であった可能性が高い。おそらくは,円覚寺の仏殿の壁画「金剛図絵」と同じ画家と思われる。この「金剛図絵」は,1717年,呉師虔によって掛軸として修復され,さらに,1796年,向元瑚が修復し,1817年,同画家によって再彩色された。1839年,1860年にも,毛長藉によって彩色されている。(12) 拙論「金剛寺日月山水図屏風:南朝の追憶」,『第5回日本美術史に関する国際大学院生会議』(JAWSProceedings), 1996年,及び,“TheKongo-ji Screens : tions, vol. 27, no. 8 (September 1996), pp. 70-82,参照。-642-韓国美術史資料集成(2)
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