鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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⑲ 曽我物語図の系譜における芸能との関連性研究者:山梨県立美術館学芸貝井澤英理子建久4年(1193)5月28日,源頼朝が富士山麓で行った巻狩において,曽我十郎祐成(幼名一万)と五郎時致(幼名箱王)の兄弟は,父河津三郎祐通の仇である工藤祐経を討った。この史実に基づき口伝の伝承説話として成立した「曽我物語」は,中・近世において様々に絵画化,芸能化され,たぐいまれな展開の豊かさと受容層の広さを示す題材である。中世から近世までの「曽我物語図」の展開を,同時代の芸能と照らし,相互の影響関係や共通するイメージを明らかにしながら,「物語図」という絵画形態の特性を探る試みの一端としたいと考えた。「曽我物語」に取材した絵画の作例の中で注目されるのは,桃Il_1時代に一双形式の屏風絵が整った形で登場することである。右隻は「富士巻狩図」で,仇討ち当日の富士の狩場でのできごと,祐経を討ち損ねる兄弟や,巻狩で活躍した武将たちの様子が,富士の裾野の景観の中で展開する。左隻は「夜討図」で,宿営のための仮屋を舞曽我物語図リスト初期作品月次風俗図屏風八曲一隻中富士巻狩図一面富士巻狩図扇面一面『古画類緊』中曽我物語図扇面二面屏風曽我物語図屏風六曲一双土佐光吉筆16c末〜17c初不明瞥我物語図屏風六曲一双光吉本写し17c初〜中曽我物語図屏風六曲一双曽我物語図屏風六曲一双曽我物語図屏風六曲一双曽我物語図屏風六曲一隻曽我物語図屏風六曲一双東京国立博物館個人蔵東京国立博物館根津美術館16c末〜17c初這輯撻物儲(前日コレクション)17c中頃17c中頃サンフランシスコ東洋美術館17c中頃17c中頃出光美術館上岡家静岡県立美術館-647-

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