鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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期,兄弟の恋人,仇討ちの後日諒,さらには曽我物語にはないエピソードなど,各々の時代の思潮に合わせた脚色がなされ実に多彩である。まず,幸若舞曲以外の芸能の詞章が屏風絵に現れる図様を導き得るかを見るべく,図様と詞章の詳細な照合から始めてみた。そもそも『瞥我物語』自身は,漢文をまねた真字体で編まれた現存最古の真字本十行本,仮名による流布本十二行本のいずれも,「夜討図」を生み出す内容を満たしていない。曽我物語は,仇討ちの発端となる兄弟の父の死から始まり,仇討の志を抱いての兄弟の成長,悲願成就,二人の死後のこされた母や恋人たちの思いなど,長い年月を記した長編であるが,曽我物語図屏風に描かれたのは,仇討ち当日5月28日の日中の富士巻狩と夜討の場面である。この部分に当たるのが,幸若舞「夜討曽我」「十番斬」,能「夜討曽我」「十番切」,古浄瑠璃「ふじのまきがり」である。歌舞伎の曽我物は脚色が甚だしく,曽我物語の本筋から遠く離れた内容となっており,「夜討図」の筋書きに沿う脚本は見つからなかった。幸若舞では,富士巻狩での失敗から宿営のための仮屋でのできごと,仇祐経の館に辿り着くところまでが「夜討曽我」,仇討成就,御家人たちとの切り合い,十郎の死,五郎の詮議と処刑までが「十番斬」につづられている。能は同じ題名であるが,更に兄弟が従者に形見を託す場面と,五郎が捕らえられる場面に主題がしぼられている。古浄瑠璃「ふじのまきがり」は幸若舞の「夜討曽我」と「十番斬」をはぼあわせた内容ではあるが,御雑餡や頼朝を諫める一法師丸など,主要なプロットを落としてしまっている。したがって,幸若舞のみが屏風の左隻「夜討図」に関して,モチーフを生み出す詞章を全て内含するということがわかる(プロット・モチーフ一覧表参照)。ちなみに右隻「富士巻狩図」の主要モチーフ,猪を捕らえる新田忠綱や畠山と梶原の鹿争いなどの逸話は幸若舞には含まれていない。これらのモチーフは,一双形式が完成する以前に流布本曽我物語などを典拠にして「富士巻狩図」が登場した段階で,詞章を必要としないほど図像上の約束事になっており,幸若舞が一双形式の曽我物語図屏風のテキストであることは否定されない。これを裏付けるように,挿絵入舞本の「夜討曽我」には詞章にはないが新田忠綱が必ず描かれている。加えて幸若舞曲がテキストであることを決定づけるのは「幕紋尽くし」である。幕紋尽くしは,十郎が祐経の屋形を探し求めて御家人の屋形をめぐるところを,37種の紋を記した雅で表現するもので,幸若舞では「…団扇の紋は児玉党,裾黒に鱗形は北-654 -

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