鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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田)四郎に打たれる「十番切」(現在は演じられない)と,祐経の屋形に居~わせたでは,これらの曽我物の芸能において,各々の詞章がどれほど実際の所作や舞台美術,演出に反映し,また絵画の図様と関連しているのであろうか。それを確かめるため現行の曽我物を実際に鑑賞した〔図8■11〕。福岡県の大江の幸若舞では「夜討曽我」が今でも舞われている。幸若舞は豊富な内容の詞章を語って聞かせる謡いが主体で,調子によってカタリ,イロ,フシ,ツメに分かれる。立烏帽子に素抱上下姿の大夫,シテ,ワキの三人が,両手を広げて交互に語り,調子の高まるツメではシテ,ワキの地謡に合わせて大夫が謡いながら舞台を前後左右に足踏みして回る〔図8〕。どの曲も同様で,詞章の内容にあわせたしぐさや小道具は一切ない。したがって幸若舞の所作自体には絵画の図様に直接影密を与えるところは全くないのである。一方,能の謡曲,伝宮増作「夜討曽我」は,幸若舞曲よりも屏風絵に含まれる説話が少なく,前半は仮屋での兄弟と二人の従者,鬼王と同三郎(流布本,舞曲では道三郎)とのやりとり,後半は五郎が御所五郎丸(頼朝の小舎人五郎丸)にとらえられる場面にスポットを当てている。前後半の間の小書に,斬り合いの中で十郎が仁田(新大藤内(王藤内)が取り乱しながら夜番の男に仇討ちの様子を話す間狂言「大藤内」がある。演じられる場面が少ないため,「夜討図」のプロットを引き出すテキストとしては不十分ではあるが,演劇的な所作や場の設定には屏風のプロットを紡彿とさせるところがある。例えば,兄弟に曽我の里に帰るように言われた鬼王,道三郎は,最後を共にできぬならと刺し違えて死のうとするが止められ,説得されて十郎の文と五郎の守袋を受け取って去っていく場面などである。能の「夜討曽我」の主題となっている従者の忠義心は,当時の人々の最も共感するところであり,この場面は絵画の中でも他の場面に比べて筋書きを格別に丁寧に追っており,複数の場面を使って表現される〔図12〕。また五郎丸が薄衣を被って女性とみせかけ,五郎の後ろから抱きつくところなども絵画の図様の形態と共通する〔図14〕。兄弟の衣装は,直垂の模様は十郎が千鳥,五郎が蝶と流布本にも舞曲にも明記され,絵画においては兄弟の姿を判別する目印として描き分けられるが〔図13〕,能においては控えめに帯にそれぞれ千鳥と蝶が用いられている〔図9〕。能と絵画の影響関係は,図様に直接作用するものではなく,その時代の思潮や共感,興味の対象を集約した能のテーマ設定が,絵画化のプロットの選択に反映するといったものと思われる。ちなみに壬生狂言には能とほぼ同一の内容の「夜討曽我」が伝わっている。壬生狂-658 -

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