鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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* * * * * * * * * * * * 者,手段,庇護者などにより少しずつ異なっており,すべてに共通する条件や規範を抽出することは難しい。本国際会議は,日本とヨーロッパの古代から近現代にわたる美術を幅広く取り上げることによって,それを証明したということができる。特に,日本美術においては,芸術家個人の創造性は指摘するまでもないことながら,仏教寺院,宮廷,幕府などの支配的組織と,近世以降における豪商や町人の階層が,マスターピースの創造において,きわめて大きな役割を果たした。その事実が,ヨーロッパ美術との比較をとおしてはっきりと実証された。しかし,美術史の根幹をなすこの問題については,さらなる考察が必要であり,第2回国際会議も必要であるように思われた。6時30分に終了した最終討議をもって,大きな拍手のうちに,本国際会議も幕を閉じることになった。先に記したように,それは美術史研究上多くの成果をもたらし,大成功を収めたものということができよう。このあと,発表者を中心に,ヘンリー8世第二夫人の生家である美しいブルックリング・ホールヘバスで移動,邸内見学のあと夕食会へ招待されることになった。所期の目的を果たした開放感からか,にぎやかな歓談は真夜中近くまで絶えることがなかった。なお,この国際会議に合わせて,ニューヨークで活推する日本人写真家スギモト・ヒロシ氏の特別展「三十三間堂」が,セインズベリー視覚芸術センターの一階ギャラリーで開催された。また,このセンターの創立者でもあるセインズベリー夫妻の収集にかかる美術品の特別展も同時に開かれたが,このなかには,縄文時代から江戸時代にわたり,すぐれたわが国の美術品も数多く含まれていた。これらの特別展覧会は,参加者からもきわめて高い評価を集めたものであった。河野元昭最近(1996年)出版されたTheDictionary of Artの‘Masterpiece'の項において,Y osa Buson and his Ming/Qing Chinese Antecedents(与謝蕪村の傑作と明清画)Michael Baxandall氏は,つぎのようにそれを三つに分類している。(a) a test-piece of work submitted to a craft organization as qualification for -687-

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