⑦ 1929年の古賀春江をめぐって研究者:石橋財団石橋美術館学芸貝杉本秀子はじめに1929年が古賀春江(1895■1933)にとって最も重要な年であることは,彼についての研究かこの年やこの年以降に集中していることからもまちがいないだろう(注1)。彼がその年の第16回二科展に出品した《海》〔図1〕と《鳥籠》〔図2〕は,彼のそれ以前の作品とはまったく異なる制作方法によるもので,この1929年を彼にとっての転換の年と見なすことができるのであるか,その転換か,時代そのものの転換と対応するものであることを実証するのがこの研究の目的である。美術や文芸の世界における1929年の前後数年間の動きとして,芸術の大衆化や功利主義あるいは機械主義の風潮をあげることができる。これらの風潮は,その後の芸術に大きな問題を投げかけてくるものであり,古賀の1929年以降の絵画は,この時代の大きな動きと無関係ではないのである。なお,この研究の一応の成果については,1997年10月の第48回美学会全国大会(於東京芸術大学)にて「1929年の古賀春江と昭和初期洋画界」という題名で発表した。この報告書は,その口頭発表に加筆・修正したものである。1 既製のイメージからなる絵画まずは,《海》や《鳥籠》に始まる古賀春江の1929年以降の絵画と,それ以前の絵画とを分かつものとして,雑誌などに掲載された既製のイメージの引用が見られるかどうかという点をあげることができる。この既製のイメージの引用については,速水豊氏の調査によってかなり明らかになってきている(注2)が,今回の調査でさらに明らかになったものを以下に列記しておきたい。・『科学画報』8巻1号(1927年1月),36頁,「岩石鉱物学進歩の概況」という記事のなかの方解石の顕微鏡写真〔図3〕=《鳥籠》のレコード盤状のもの.『科学画報』11巻4号(1928年10月),607頁,「色彩で現はれる内力分布」という記事で用いられた図〔図4〕=《涯しなき逃避》〔図5〕の人体風のもののなかの円形・『少年世界』35巻7号(1929年7月),18頁および22頁,「誌上大水族館」=《深-61 -
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