鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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2 1929年前後の時代風潮I 芸術の大衆化海の情景》〔図6〕のフカ,クラゲ,タッノオトシゴ,『アサヒグラフ』15巻20号(1930年11月12日),18頁,「コドモグラフ」での「たかとび」と題する写真=《仮設の定理》〔図7〕の犬の高飛び.『アサヒグラフ』16巻16号(1931年4月15日),「最尖端をゆく舞踊の感覚」のうち「スパイダー・ダンス」と題する写真〔図8〕=《深海の情景》の女性のイメージ既製のイメージの引用は,《深海の情景》でも見られることから,1929年以降古賀の死の年までつづけられたことがわかる。彼が引用した既製のイメージは,《海》に描かれた飛行船や潜水艦,ロボットなどのような科学の最先端を表わすもののほか,ダンスやスポーツをする場面,珍しい発明品,掬眼ではとらえられない植物や動物などの顕微鏡写真,海底の情景などにも及んでいる。それらはいずれも,当時の人々にとって珍しい,新鮮なものという点で共通している。そして,その多くは,古賀の画面に取り込まれた結果もとの意味を失ってしまっている点でも共通する。このような既製のイメージにもとづく絵画制作への変化は,もっと根本的な制作の土台の変化をも意味する。画面を構成するモティーフは,写真や説明図として雑誌などにすでに掲載されたものであり,古賀の眼でとらえられたものなのではなく,彼の眼で選ばれたものにすぎない。彼の制作の土台は,もう彼が実感し体験する世界にはなく,いわば仮想の世界のなかに入り込んでしまっている。関東大震災を境に,産業の合理化・機械化が進み,マス・メディアが形成されていく。新聞の発行部数が増えるとともに,そこには娯楽性の強い小説が連載されるようになる。1924年の夏にはラジオ放送も開始される。『キング』を始めとする大衆娯楽雑誌の創刊も相次ぐ。1927年には「円本プーム」も巻き起こり,世界の名作や明治大正期の小説が大衆のものとなった。このような状況のなか,文学の世界では「大衆文学」という言葉が生まれてきた。文学は,新聞,雑誌,ラジオなどを通して大量に消費されるようになったのである。古賀の絵画における既製のイメージの使用は,このような出版業界の盛況があって初めて可能だったという点を忘れてはならないだろう。-62 -

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