鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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3 時代のなかの古賀春江I 芸術の大衆化と古賀春江つ。目的もなく実用的でもない,生活と大衆に関係のない絵画は絵画ではないという極端な意見さえ一部にあったほどである(注7)。まさにこの1929年から翌年にかけて,機械と芸術,とりわけ機械と美術の関係についての議論が沸騰した(注8)。この議論は,現代(1929年前後)という時代はどういう時代であるのか,またその時代の芸術はどういう特質をもつのかという考察に端を発しているように思える(注9)。この議論を要約すると,現代は合理的なものを美しいと感じる時代であって,自動車や飛行機などの機械の形態,近代的な橋やビル,スポーツをする姿などにも美を見出す時代であることを説いたものが多いようである。機械あるいは機械文明は,美術にとって,新しい美の側面をもたらすものとしてむしろ歓迎されているように思える。そもそも芸術の大衆化を可能にするには,機械文明の発達がなければならない。たとえば,文学の大衆化は印刷技術の発達なしにはありえない。機械の恩恵を最も受けたのは映画であり,またたくまに大衆に受け入れられた。ところが,あくまでも人間の手仕事に頼らぎるをえない絵画はというと,ひとり取り残された感がある。絵画が真に機械の恩恵を受けるとすれば,機械による絵画の大量生産に行き着くことになるだろう。すでに述べたように,古賀の1929年以降の絵画は,既製のイメージを用いたものである。その既製のイメージは,多くは大衆的な科学雑誌やグラフ雑誌に掲載されていたものであって,多くの人の目に触れ,またその新奇さゆえに多くの人の眼を楽しませたはずのものである。そのようなイメージを選ぶこと自体,古賀のなかで大衆が意識されていたのかもしれない。そのイメージを選びとった時点では,古賀は大衆と同じ眼をもっていたと言ってよいだろう。しかしながら,できあがった作品は,決して一般大衆に受け入れられやすいものではなかった。つまり,古賀によって選ばれた個々のモティーフは,もともと大衆的で娯楽的な性質のものであったはずのものが,彼の手によって描かれ組み替えられることで,もとの意味を失うとともにその大衆性と娯III 機械主義-64 -

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