楽性をもなくしてしまうのである。古賀のいくつかの文章から,彼が功利主義とはまった<相容れないむしろ芸術至上主義的立場にいたことがわかる。たとえば,「超現実主義私感」(注10)はそのような芸術的立場の吐露として読むことができるし,そのものずばり「至上主義者の弁」(注何の役にも立たないかも知れない」(注12)という一種の開き直りさえ彼にはあった。功利主義の風潮は,彼の絵画制作をますます純粋なものへと向かわせたように思える。以上の二つの時代風潮は,古賀はそれらに直接巻き込まれたわけでなく,むしろ純粋な絵画制作を推し進めるバネの役割を果たしたように見えるのであるが,この機械主義については,彼はまさにその渦中におかれていたと言ってよいだろう。古賀春江の《海》や《鳥籠》の他に,東郷青児の《超現実派風の散歩》,中川紀元の《空中の感清と物理》,阿部金剛《RienNo. 1》など,1929年の二科会で初めて登場した「超現実主義(超現実派)」あるいは「シュルレアリスム」は,時として「機械主義」あるいは「メカニズム」という言葉と混同される場合もあったし(注13),またシュルレアリスムのひとつの方法,手段としてメカニズムをとらえる場合もあったようである(注14)。古賀の《海》や《鳥籠》と機械主義との関係は一見して明らかである。《海》の潜水艦や軍艦,《烏籠》の機械の形態といった現代的な機械のイメージ,直線的な画面構成,青や緑など寒色の多用,筆跡を残さない描写法などに,機械主義との関りを見て取ることができる。そもそも,写真や印刷によってすでに定着されたイメージを選びとるという制作態度にしても,それらのイメージをただ寄せ集めたかのように見せる構成法にしても,人間の手の介在を最小限に抑えようとするものであり,むしろ機械による生産を連想させる。古賀は確かに機械主義の風潮のなかで制作をした画家である。だからと言って,彼か機械文明を手放しで称賛していたとは限らないだろう。彼の1929年以降の絵画でII 功利主義と古賀春江11)という文章も書いている。「私のする事は全然無意味で恐らく現実の生きた社会にIII 機械主義と古賀春江-65 -
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