鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
81/711

⑧ ゴーギャンの彫刻とそのコンテクスト_ロマン主義からプリミティヴィスムへ研究者:多摩美術大学非常勤講師廣田治子1.初めに筆者はLasculpture de Paul Gauguin dans son contexte (1877-1906) et le cata-logue raisonne informatise de l'ceuvre sculpteと題したパリ大学博士論文を準備中に鹿島美術財団の助成を受け,完成を見ることができたことを同財団に深く感謝申し上げる。本論文はポール・ゴーギャン(1848-1903)の彫刻(陶器を含む)の全体像を新しく捉えなおしたテクストと,作品目録から成る。作品目録作成に当たっては,パリでドゥルオー,オルセー各資料室,図書館で,売り立て目録,展覧会目録等を調査し,一度も公表されたことのない作品を含む14点の作品を,35年前に出版された作品目録(注1)に加えることができた。筆者はゴーギャンの陶器も彫刻として扱っている。それは,何よりもまずゴーギャン自身が陶器に彫刻としての価値を付与し,自らの彫刻的表現手段として取り組んだからであり,実際にその陶器には彫刻としての革新性が認められるからである。ゴーギャンの彫刻の存在,及びその意義は,今日ではかなり広く認識されるに至っている。それは,第一には20世紀プリミティヴィスムの研究の成果に負うところが大きい。1938年に遡るゴールドウオーターの研究の後,ジャン・ロードは1968年,現代プリミティヴィスム先駆者としてのゴーギャンの役割を明確に示した(注2)。さらに1980年代に入ると,この問題をめぐる2つの展覧会がゴーギャンの彫刻の位置を揺るぎないものとしたのである(注3)。確かに20世紀プリミティヴィスムの研究はゴーギャンの3次元作品の価値を認識させた。この後それらは19世紀彫刻として,しかし20世紀の入り口に位置し,その幕開けを告げるものとして,市民権を得ることとなる。第二の理由は,1970年代,1980年代を通じて出版された研究書,博士論文によって,ゴーギャンの芸術の解明が大きく進んだことと関連している(注4)。全般的な,あるいはテーマ別のこれらの研究書は,彫刻作品に関しては,著者の議論に関係する限りで言及されているに留まっている,とは言え,それらのイコノグラフィーの解明には大きく貢献した。さらに,1988-1989年にワシントン,シカゴ,パリで開催された大回顧展には数多くの彫刻作品や版画が展示され,彫刻家,装飾芸術家としてのゴ-71 -

元のページ  ../index.html#81

このブックを見る