鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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(1866)はモンマルトルの墓地にあり,ゴーギャンは容易に見ることができた。このらにカフェ・コンセールはしばしば娼館に続いていた。ヴァレリ・ルミというかつてのモンマルトルの花形をモデルとしながら,ゴーギャンはブルジョワ社会の産物であり,犠牲者でもある下層階級の少女の典型を表そうとしたと考えられる。このように歌手は,小さなパリジェンヌとともに,ドガの影響下に彼が初めて現代的主題に取り組んだ作品であるに留まらず,反ブルジョワの立場をとる彼独自のプリミティヴィスム思想を形成する出発点ともなった作品なのである。その一方で,璽壬に関して,そのメダイヨンの形式,さらに構図そのものに於いて,ロマン主義彫刻,とりわけプレオーの作品との関連も指摘しうる。ダンテの主題の復活と共に,ロマン主義彫刻は1860年代以降再評価されており,1870年代に入ると彫刻家たちの死が相次いだため,回顧展によって一層注目を集めていた。プレオーは1879年に世を去ると骸しい数の死亡記事が発表され,続いて二つの論文が彫刻家の生涯と作品を紹介した。そのひとつはE.シェノーによるもので,プレオーの類希なるヴィジョンを賞賛している(注15)。ボードレールが賞賛した唯一の彫刻家でもあるプレオーは,とりわけその浮き彫り作品に革新性を発揮した。19世紀彫刻は,この絵画に最も近い形式の中に新しい表現の場を見いだしたのである。ハムレットの役で有名であった役者を表したメダイヨン〔図4〕を配したフィリベール・ルーヴィエールの墓マスクはおそらく死を表しているのであろうが,同時に,役者の魂をも生き生きと伝えている。こうした表現性がゴーギャンの璽壬に継承されているのみならず,メダイヨンには比較的珍しい人物の正面性,付属物の配置(歌手に於いては花のブーケ,ルーヴィエールに於いては悲劇のマスク)に関しても両者は酷似しているといえよう。以上の考察からゴーギャンは本作品に於いて,ドガの現代性と,自らの情念と共鳴するロマン主義の先例とに同時に関心を向けていたことが理解できるのである。こうした異なるものの弁証法的手法は,彼の一つの大きな特質をなしている。それは伝統と現代性,洗練された芸術と野蛮な,あるいはポピュラーなもの,西洋的なものとプリミティヴなもの,マージナルなものと中心的なものと言うように,様々な弁証法を形成していくこととなる。マージナルなものと中心的なものの境界が消失していく20世紀に対し,こうした弁証法こそが19世紀に固有のプリミティヴィスムの特質である。まで,毎冬,パリで陶器を制作し,夏季には,1887年のマルティニック滞在を除い1886年から1887年にかけての冬,ゴーギャンは初めて製陶に取り組む。以後1890年-74 -

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