鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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1860年代に発掘され,1878年の万国博の自国の歴史的美術部門に展示されていたフラ19世紀前半より,教育と文化の普及が進み,作家と画家の交流が盛んとなったのを受3.民衆芸術の影響て,ブルターニュで絵画と木彫に励むことになる。ゴーギャンの陶器はそのほとんどが“妬器”である。これは木彫と同様,西洋の伝統に於いては中世期に盛んに用いられ,その後は民衆芸術の中にのみ生命を保ってきた素材であった。ゴーギャンはこれらの中に素朴なものに共鳴する自らの感性に合致するものを感じたのである。ゴーギャンの陶器に関してはこれまで,彼が幼少期を過ごしたペルーのインカ芸術あるいは日本の陶器の影響が語られてきたが,初期作品に関し,イタリア及びフランスのグロテスク装飾の施された壷を中心に,ヨーロッパの伝統的陶器の影響があることは,筆者がすでに指摘したとおりである(注16)。すなわちここには洗練された過去の芸術と素朴な民衆的素材の奇妙な混合が見られ,また幻想的な装飾性と自発的な近代的彫刻感覚とを融合しようとしたゴーギャンの意欲が表れている。こうしたゴーギャンの意欲は,続いて様々な民衆芸術へと彼の目を向けさせた。これまでポピュラーなものの影響は,木製人形との関わり等,折に触れ示唆されながら,具体的に示されたことはなかった。言うまでもなくこのことは,クールベと木版画の関わりに始まる19世紀プリミティヴィスムの特質として捉えられる。筆者は既に,ンス14-15世紀の日常陶器の影響を指摘し(注17),さらにこの度,子供向け絵本に注目した。それはゴーギャンが民衆芸術に関して幅広い興味を持っていたことを明らかにすると同時に,彫刻のみならず,絵画にも見られる奇妙な表現の解明に貢献するであろう。イギリスのケイト・グリナウェイやカルデコットの作品がフランスで人気を博し,とりわけゴーギャンが後者を好んでいたことは既に知られている。しかしまたけて,世紀後半には絵本の出版が飛躍的に増大していたことを考えるなら(注18),ゴーギャンがフランスの絵本にも興味を持ったとしても不思議ではない。伝統的なお伽噺や冒険物語と平行して,道徳的教育を目的とする“良い子と悪い子”の話も多数制作された。この中で注目されるのはトリムのペンネームで活躍したラティスボンヌであり,E.T. A,ホフマンのもじゃもじゃ頭のペーター,及びダンテの神曲の訳者であった彼は,自らも善と悪を主題とし,滑稽さと恐ろしさを兼ね備えた内容をもつ多数の子供向け絵本を制作した。そのほとんどはユントによって挿し絵が付されてい-75 -

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