4.新しい彫刻に向けてる。当時としてはむしろ例外的な,省略的且つ滑稽味を帯びた彼の画風も我々の注目を惹く。例えば木の幹に様々な装飾要素を配し,全体で一つの顔を表した木の幹の形をした壷〔図5〕というゴーギャンの作品を,トリムの臆病者(注19)〔図6〕と関連づけることができるであろう。テクストには「たびたび彼は立ち止まり,大理石より冷たくなってこう叫んだ。“人だ”と。でもそれは一本の木だった。」とある。ゴーギャンはしばしばこうしたアニミスム的手法を絵画の中でも用いており,例えばアルルの病院の庭こ(注20)では,前景の草むらの中に動物の顔が暗示されている。そしてトリムの臆病者の別のページ〔図7〕の草むらの中に我々は同じ手法を見いだすのである。さらにゴーギャンの木彫パネルマルティニック〔図8〕には,同じトリムの良い子のトトと意地悪なトムの影響が明らかである。マルティニックに於いて2匹の猿に何か言葉を吹き込んでいる二つの顔と同じ位置に,絵本でも意地悪なトムの上には悪意に満ちた顔が,良い子のトトの上には優しく微笑む顔が,いずれも木の陰から表れ出ているのである。木彫パネルの主題に関してはマルティニック島のインド人入植者たちのヒンドゥー信仰(猿はヒンドゥーの神)に基づくとする説が最近出されている。そうだとすれば,ゴーギャンに於ける民衆宗教への輿味の一例となる。このように子供のための絵本は,子供的な率直さ,素朴な表現を求めるゴーギャンに大きなインパクトを与えたと考えられる。翌1889年の自刻像陶器(インカ陶器にペルーの副王の末裔としての自己を重ね合わせたもの〔図10〕と子供のように親指をしゃぶる自己〔図11〕)に於いてゴーギャンは,自らの子供時代に遡りながら自己の源泉を探り,人間として,また芸術家としての運命を考察する。ついでタヒチに渡った後は,部族信仰の探求,これと仏教やキリスト教など諸宗教との比較考察を通して人類の精神の起源に思いを馴せ,独自のアニミズム及びフェティシズムの肌界を創造するのである〔図18〕。ゴーギャンの陶器は2年目以降急速に彫刻化の一途を辿り,最終的に,20世紀プリミティヴィスムヘの道を開いた傑作オヴィリ(1894)〔図19〕に到達する。陶芸2年目の1887-1888年,それまで壷の表面に付加されていた装飾的要素は壷本体と一体となる傾向を見せる。肖像壷あるいはそれに類するものが登場し,壷の形を借りた中空の彫刻の様相を帯びる。陶芸といういわばマージナルな分野に新しい形を,すなわち76 -
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