―-77 -1888年の個展ではミダス王の題名が冠されていたらしい。二人は互いに知っており(1886年以前)〔図16〕,セイレン(1888年以前)〔図17〕等多くの女性像を出品してい芸術性を齋すことこそゴーギャンの目的であった。この時期の作品として最も興味深いものに,女の顔を挿入した壷,レダ〔図9〕がある。おそらく白鳥ではなく鵞鳥の首とブルターニュの少女の顔を巧妙に組み合わせたこの作品は,断片的な人体を嵌め込んだ壷でありながら,ある種のヴォリューム感を出している。それは顔を俯啄的にそして斜めに捉えていることによる。以後ゴーギャンの作品にはしばしばこの手法が見られることになる〔図10,12〕が,それはまた彼の絵画にも看取され,奥行きのない空間の中で,人物の周囲にそれ固有の空間性を齋している。ゴーギャンは壷の表面という形式を通して,平面上の彫刻表現を考案した。ここに我々は中身と表面の統一的ヴィジョンに基づく伝統的なヴォリューム表現と訣別し,イリュージョニスムの支配する空間に従属する彫刻とも訣別する,自立的彫刻の一つの新しい可能性を見るのである。続く1889年の作品に於いて,ゴーギャンは陶芸と彫刻の真の綜合を達成する。先に引いた自刻像の他,ここでは彼独自のプリミティヴィスム思想に基づく象徴主毅が支配的である。と同時にこれらの中に,カリエスやロダンの影響の認められるものがある。頭上にとぐろを巻く蛇を冠したシュフネッケル婦人像〔図12〕はエヴァを想起させ,動物的な大きく尖った耳によって,それが人間の中の獣性,すなわち失墜した人間を表したものであることが理解される。ここにカリエスの整神〔図13〕の影響を見ることは妥当であろう。牧性は1885年にブロンズで,1888年には妬器で制作された。(注21),苦悩の人生を歩み人間の運命を諦念と激しさで表現したカリエスの作品を,おそらくゴーギャンは共感を持って見ていたと推測される(注22)。また,海の怪物と水浴女〔図14〕やマルティニックの少女像〔図15〕の,ゴーギャンには珍しい優美な女性像とりわけ腰から背中の優美な曲線の背後にロダンの作品を想定することはできないだろうか。1889年6月,ロダンはモネとの二人展をジョルジュ・プティ画廊で開催し,考える人,カレーの市民の他,女塵,スフィンクスた。ゴーギャンは既にブルターニュに出発しており,展覧会を訪れることはできなかったが,テオ・ヴァン・ゴッホにo.ミルボーの批評記事を二度に亘り頼んでいることから(注23),ロダンに相当興味を持っていたことが知られるのである(注24)。確かに一方ではこれらの作品の比較は両芸術家の違いを強調する。ロダンは人間の情念
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