鹿島美術研究 年報第15号別冊(1998)
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25 avril 1895, repris dans Oviri, 1974, op. cit., p.136.カリエスは日本美Galerie Patrice Bellanger, novembre 1997.の巻末の文献表を参照されたい。(23) D. Cooper, ed., Paul Gauguin : 45 Lettres ii Vincent, Theo et Jo van Gogh, Lausanne, Bibliotheque des Arts, 1983, nos. 14-4, 15-3. Octave Mir-beau, "Auguste Rodin", L'Echo de Paris, le 25 juin 1889, in Co叩batses-thetiques 1 (Edition etablie par P. Michel et J. -F. Nivet), Paris, Seguier, 1990, p. 384. 1907年のものである。France, mars 1891. p. 165. 初版は1861-1862年。(20) G. Wildenstein, Gauguin, Paris, les Beaux-Arts, 1964. no. 300. (21) ゴーギャンの回想によれば,カリエスは彼の家にきて,その陶器を長い間研究していったという。Gauguin,"Apropos de Sさvreset du dernier four", Le soir, 術の影響で焼き物,とりわけ妬器に興味を持ち,1888年末以降これに専念する。その中には彫刻家の腕を生かした,グロテスクな顔を表面に配した壷があり,おそらくこれに関してはゴーギャンの影響があるだろう。そして1891年以降,一連の蛙人間が制作される。(22) カリエスに関する文献については,Jean-JosephCarri彦s(cat. exp.), Paris, (24) ゴーギャンとロダンの個人的関係については,ロダン美術館資料室に保管されている3通のロダン宛の手紙(いずれもゴーギャンの死後のもの)によって,一応の面識と認識があったことが推測されるのみである。そのうちー通はケスラー伯からで,自らの出資したロトンシャンによるゴーギャンの伝記に付されていた。他の一通はゴーギャンの妻メットの面会申し込みに関する手紙であり,おそらく(25) Albert Aurier, "Le symbolisme en peinture -Paul Gauguin", Mercure de (26) 筆者のこの旅の調森で,1973年にロダン美術館での画家の彫刻展に出品されながら,それ以前も以後も言及されたことのない彫刻的作品〔図20〕を見いだした。作品に付された番号から1887-1888年期の制作になることがわかるこの作品にはボロブドゥール浮彫の人物が見られ,これまで議論の的となってきたゴーギャンの当遺跡の写真の入手時期が限定された。82

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