2つの施設が通称として“ヌオーヴア・ジェルザレンメ”(1つはサン・3.建設時期一一ヴァラッロを除く全ての“サクロ・モンテ”と後年の“サンチュア4.サクロ・モンテ建設以前に当該地に存在していた伝統的信仰一一ヴァラッロとア研究史においては,殆ど手っかずのまま残されているトレンティーノ・アルト・アデイジェ州からチロル地方にかけての地域が十分に調査されることになれば,イタリアだけでも30以上の総合施設を数えることになろう(注10)。(ここではイタリア国内の24のサクロ・モンテについて若干の分析を試みた。)いわば総合芸術ともいえるサクロ・モンテにアプローチする方途を探るために,また,現地の調査で見落とすリスクを最少に留めるために,数種の調査表を作成してサクロ・モンテの全体像の把握に努めてきたが(注11),それらに盛り込んだ全項目に言及しながら分析を試みるスペースはないので,各施設の通称,行政上の位置,建設時期,土地の伝統的信仰,主題,類型,創設者についてのみ,整理した表から導き出される結果を整理しておきたい。1.通称ヴイヴァルドの限定がつく)と呼ばれ,5つの施設が“サクロ・モンテ”の呼称をもっている。後者のうち,ヴァレーセ以外の4つの施設は,デイ・サン・フランチェスコ(聖フランチェスコの)などの限定語が付加されている。その他の16の施設は,様々な献堂名を伴って“サンチュアリオ”の名称で呼ばれている。限定語デル・カルヴァリオ(カルヴァリオの)を伴って,“カッベッラ(礼拝堂)”と通称されているのはl施設のみである。2.位置(州)ティーノ・アルト・アデイジェに1(但し,他にも少なくとも6つの施設が指摘されている)(注12)〔図1〕のサクロ・モンテが位置付けられている。リオ”はモンガルデイーノ数年,チェルヴェーノ12年,モンタ13年,トッリチェッラ・ヴェルツアーテ17年,モンタイオーネ19年,クレア20年強,オッスッチョ74年,ヴアレーセ95年というように比較的短期間に実現されている。建設のピークは1589年から17世紀一杯にわたっている。またトレント公会議後の“サクロ・モンテペ“サンチユアリオ”のうち,6施設(サクロ・モンテI,サンチュアリオ5)が当初の構想、を実現できないまま未完に終わっている〔表l〕。ローナを除き,ほとんどの施設が,古くから伝統的な信仰対象をもっ土地の上に建設されている。ピエモンテに18,ロンパルデイアに4,トスカーナに1' トレン90
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