鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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① 八大菩薩の図像の成立と伝播に関する研究一一一韓国石窟庵の八大菩薩を中心に一一研究者:日本学術振興会外国人特別研究員朴はじめに石窟庵は,韓国慶尚北道慶州の東端,仏国寺北方の吐含山頂上付近の山中にあり,『三国遣事』などによると,統一新羅時代の大相金大城(注1)の発願によって新羅第35代景徳王10年(751)から二十余年をかけて造営された(注2)とされる人工石窟寺院である。しかし,中世における記録は非常に乏しく,1910年頃の修理,および1960年代の修復で今日の姿になった〔図l〜3〕。この花両岩材で構築された石窟庵は,新羅の古都慶州に残る数多い仏教文化遺産の中で最も優れた遺跡である。韓国最高の仏教遺跡である慶州石窟庵に関する研究は絶えることなく続けられているにもかかわらず,未だに多くの問題を含んでいる。それは,石窟庵の諸尊の性格および構成が,単一の経軌や思想によるものではなく,多くの経軌や思想、を合わせ持つ総合体であるからであろう。本稿は,アジアにおける八大菩薩の図像の成立と伝播を踏まえたうえで,これまでの石窟庵の研究において,本格的に扱われていなかった主室の周壁上部にある寵室内の像群が中期密教の八大菩薩であることを明らかにするとともに,各尊の同定を行い,また移坐されたと思われる各像の原場所を復原しようとするものである。なお,本稿は平成十年度鹿島美術財団「美術に関する調査研究」助成による実地調査の結果,明らかになった研究成果の一部であり,美術史学会第51回全国大会にて口頭発表し,『仏教塞術』第239号に掲載した内容に基づいて加筆・訂正を行ったものである。窟内主室の周壁の上部,すなわち側壁と天井の聞に設けられた十カ所の半球形の禽室(室内高の平均は120cm)は,〔配置図l〕のように,前方の入口と後方の主尊の後1 . 1998年度助成1.現状および各尊の同定I .「美術に関する調査研究の助成」研究報告亨圏

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