鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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⑦ 17世紀イタリア絵画におけるストイシズム主題研究者:松蔭女子短期大学非常勤講師佐々木由里子対抗宗教改革の下でバロック様式が壮麗に展開した17世紀のイタリアはまた,そのかたわらで実に様々な傾向の美術の動きもはらんで、いた。風景画,風俗画,静物画などのジャンルが確立し,公的注文と個人愛好家という芸術保護のかたちが共存し,多様な芸術家たちが活躍していた当時の芸術の全貌は複雑でいまだ完全に把握されているとは言えないだ、ろう。本論で取り上げるのは,そうした17世紀イタリア美術の諸相の中のひとつ「ストイシズムjである。17世紀美術の中でストイシズム関連の主題が少なくないことは,これまでも多くの指摘があった。著者自身,以前サルヴァトール・ローザを研究したとき,この画家がストイシズムに強い関心を寄せていたこと,またそれはローザひとりだけではなく,ニコラ・プッサン,ビエトロ・テスタ,ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ(通称イル・グレケット)など同時代の他の画家たちにも認められる傾向だということを知った。しかしこのときには残念ながらこの問題を深く考察するまでは至らず,f旨摘するのみにとどまっていた。哲学史の中では,ストイシズムとは紀元前300年頃から約3世紀聞のストア哲学を指し,それは「倫理学・認識論・宇宙論・心理学などを含む,ことばの十分な意味での哲学一一概念を組み立て,それを用具として世界と人間を解釈しようとする企て」として扱われている。それが,紀元後のローマ帝政期になると,「まるっきりとはいえないまでもまず人生観・処世術・心術としての倫理となったJ(注1)。これから扱おうとしているストイシズムは,一般的な言葉にもなっている「ストイック」という名のもとに後世再び捉えられた,この末期の道徳主義的ストア説である。つまり16〜17世来日のストイシズムの再興はもはや厳密な意味では哲学とは呼べず,そのせいか哲学史の中では言及もされていない。むしろこれを確かめるには広く文化的・思想的風土のま荒れのなかを探る必要がある。ストイシズムの再興は特定の事件などが契機となったものではなく,むしろ人文主義的教養のなかでの自然の流れだ、ったと言えるだろう。ルネサンスの古代文化復興の基盤となっていたギリシア・ラテン古典文学の研究を通して,多くの古代ストイシズ-103-

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