鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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光(主尊の頭光)の部分を除く左右に五カ所ずつ対称的に配置されている。本尊の背後,すなわち十一面観音菩薩立像の上部には禽を造らず,巨大な円形蓮華文の後光を醍入し,本尊の前方,すなわち前室に続く門口の上部にも禽を設けていない。このように,上部の寵室は,後光と門口を軸にして,左右相称に配されている。この寵室像群の制作年代について,文明大氏は,石窟庵の寵室像が「新羅華厳経変相図」像(755年完成)や葛項寺土l上石仏坐像(758年頃)などと図像的・様式的な特徴が類似するので,755年前後の制作の可能性を提示されている(注3)。また,他の先学たちの研究においても,本尊とほぼ同時代,すなわち8世紀第三4半期の制作であるとの意見が強い(注4)。筆者も制作年代については文明大氏をはじめ先学の編年を支持するので(注5),ここでは制作年代に関する細かい考察は割愛したい。また,本稿の結論によっても図像学的な方面から,8世紀第三4半期という編年を再確認できると思われる(注6)。現在,入口左右の二つの寵(第①寵と第⑬禽)内には像が残っていないが(注7)' 他の八つの禽内には坐像が一体ずつ安置されている。しかし,禽内の人体の像は造営当初の場所に安置されておらず,移坐されている(注8)。大きさの点からみても,寵室内部の高さは平均120cmであるのに対し,各像の高さは95〜108cmであり,移坐が可能な大きさである〔表1〕。〔表l〕のように,従来の研究においては第⑥寵,第⑦盆,第③禽の三つの禽像の尊名は明確に提示されているが,他の五禽の像については不明のままにする傾向がある。唯一,八体の寵室像すべての同定を試みた文明大氏の研究においても,経軌などによる考察が十分とは言えず,寵室像全体が構成する性格についても不明な点が多い(注9)。ここでは,現存する各尊の尊名を同定し,全体の復原の基礎としたい(第①寵像と第⑮禽像は現存しない)。なお,現存する八体のうち,維摩居士と思われる第⑥寵像を除いた七体は菩薩像であり,二重円光をもち,蓮華座の上に坐る。まず,第②寵像〔図4〕は,頭体を右方に転じて蓮華座上に半蜘欧坐する。頭部は摩滅によるものか細部の表現が確認できない。しかし,右側頭部や両耳下に垂れる冠帝の表現が第④禽像〔図7〕と類似するので,本像も髪を結い三面頭飾を付けていたと思われる。右手は肩前にあげて党俵を執り,左手は左膝上に置く。党匿をもつことが本像の図像上の特徴である。党箆をもっ菩薩としては,まず,エローラ第12窟など2 -

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