1王(1) ジャン・プラン『ストア哲学J有田潤訳白水社文庫クセジ、ユ(1959)訳者まえロンの意向というよりも,画家本人の関心による部分が大きいのではないだろうか。もちろんパトロンの影響は小さくはないだろう。特にストイシズム的世界へのきっかけの時点では,その意向が大きく作用したといえる。しかし,画家たちの成熟の過程で彼等がストイシズムに興味を深めていったのは,パトロンの趣味に迎合したということではなく,その思想、に自分自身が共鳴するところがあったからではないだろうか。たとえばローザもプッサンも(本論では割愛するがジョヴァンニ・ベネデット・カステイリオーネもまた)主題として取り上げた古代ギリシャの風変わりな哲学者デイオゲネスは,身分の高い人を恐れず皮肉の効いたウイットを言う点や,物欲に縛られずに生きる点,また奴隷状態にあったときにも卑屈にならずプライドある言動をとった点など(注23)が,これらの画家たちに共感を呼び起こしたのではないだろうか(宮廷芸術家や教会御用達という身分は,彼等にとっては一種の奴隷状態とも言えるのだろう)。盛期ルネサンス以来,画家たちは世間の自分たちに対する認識を職人から芸術家へと高めさせるために努力を惜しまなかったが,17世紀になってパトロネージが多様化し創作活動の自由がやっと現実的に可能になってきたといえる。そんな中で彼等の自意識は増大したと想像されるが,ストイシズムはそうした画家たちにとって,単に新たな主題を提供するフィールドというだけでなく,彼等の自己主張を支えうる拠り所となったのではないだ、ろうか。がきdes stoiques (1585), la sainte philosophie (1594)等の倫理的著作がある。Justus Lipsius (1547 1606)オランダ生まれの古典学者。1566年19才でローマに行きGranvelle枢機卿の秘書を務める。そこでMuret(注目参照)と知己となりストイシズムに接近。1583年ライデン大学教授時代に書いたdeConstantiaは全欧で読まれるようになった。Michel Eyquem de Montaigne (1533 92)フランス・ユマニスムの総決算とも言うべき思想家。思索的生活のなかで書きためたEssaisは1580年から世に出るが生涯に(2) ibid. (3) Guillaume du Vair (1556-1621)フランスのストア学者。dela philosophie morale
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