口同U⑥ 明治・大正期工芸の成立基盤に関する一考察研究者:宮城県美術館研究員原田敦子工芸作品には,生活の中の要求から生まれたものに宿命的な,ある種の社会性が備っていると考えられる。本来,実用に即して発展してきた工芸は,社会的な需要と不可分の関係にあり,その表現も,時代時代の支持層の好みや要求に支配されてきたと言ってよい。鑑賞用であると実用であるとを問わず,工芸品にとっては,さまざまな意味において「必要とされること」がその時代を生き続けるための条件であったはずである。如何なる経済的基盤に拠ってその工芸品が制作されたかという問題は,その作品の技法,形態,意匠にまで決定的な影響を与える程の重要な外的要因である。工芸の一部が「用jの制約から自由になり,純粋に造形的な表現の手段として,あくまでも素材の特質が制作の動機となり得る状況が定着したのはごく最近のことである。工芸は,いわゆる「純粋美術」との比較において,一方では「用jとの合理的な関わりを目指し,また一方では「用jから解放されて造形作品として認知される方向を模索してきた。記憶に残る近代の工芸運動は,「美jという主観的規準を巡りつつ,この両者の比重のあやういバランスの上に,その多様さを展開してきたのである。近代工芸の歴史は,時代の要求と個の表現というこつの要素が相措抗しながら展開してきたと言うことカfできるだろう。このレポートは,今回助成を受けた表題テーマのもとに,常に時代の要求下に生産(制作)されてきた工芸品の社会的な性格を部分的なりとも顕かにすることを目指したものである。実際には,当初,重要な調査手段として想定し,予定していた輸出工芸品の海外での実例調査がかなわなかったことなどから,この場では,本研究の中間報告として,当時の文献と最近の研究の中に上記テーマに関わる部分を読み取り,その内容を示した上で現時点での問題点の所在を明らかにしておきたい。近代美術工芸史の冒頭に必ず挙げられる出来事として,明治6(1873)年に開催されたウィーン万国博覧会がある。これは前年1月に日本とオーストリアの間で和親通商航海条約が批准された際にオーストリア皇帝の親書を以て参加を要請されたもので,新生明治政府は,この公式な希望表明を受けた数日後には博覧会事務局を発足
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