鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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カf自然であるように思われる。のインドの八大菩薩中の文殊菩薩があげられる(注10)。善無畏・一行訳『大日経』を量茶羅化したとされる胎蔵蔓茶羅(胎蔵旧図様)中台院に見られる八大菩薩中の文殊菩薩も左手に党匿をもっ(注11)。しかし,金剛智訳『金剛頂経蔓殊室利菩薩五字心陀羅尼品』や不空訳『五字陀羅尼領』などには文殊菩薩が金剛剣と党匿をもっとし(注12),また不空訳『八大菩薩量茶羅経』では金剛杵をもっとされる。すなわち,金剛智や不空系における文殊菩薩の持物には金剛剣や金剛杵の性格が強くなり,党陸の性格は弱いことが推測されるので,本像とは相違する。以上,本像の図像はインドの八大菩薩中の文殊菩薩や「胎蔵旧図様」中の文殊菩薩と同様の持物をもつことがわかる。因みに,八大菩薩中の普賢菩薩は宝蓮あるいは剣をもつものが多い(注13)。次に,第③寵像〔図5〕は,体部を左方に転じ蓮華座上で右足を曲げ左膝を立てて,頭を傾けており,左手を顎下に軽く支え,右手は下げて右足裏を握る一種の思惟相に近い姿勢であるといえる。本像において注目すべき点は,頭部の装飾である。警を結わず,髪を束ねて肩に垂らし,さらに垂髪も表されている。また,正面には方形に近い頭飾を,右側頭部には円形花文の頭飾をつけている〔図6〕。本像は持物などの尊名同定に必要な標識をもたないため,尊名を明らかにすることはできない。姿勢からすると,一見如意輪観音菩薩との類似点が考えられるが,化仏がないこと,観音菩薩として同定できる像が他(第③寵像)にあることなどから如意輪観音菩薩の可能性は少ない。一方,6世紀から非常に流行していた弥勅菩薩が他の寵室像から確認されないことや,思惟相に近い姿勢から考えて,本像が弥勅菩薩である可能性が大きいと思われる。すなわち,禽室という高さの制限によって,半蜘の姿をとることを避けた可能性も考えられる。しかし,頭部の表現など多くの問題を含んでおり,今後の研究を期待したい。第④寵像〔図7〕は,正面を向き,蓮華座上に蜘扶坐する。髪を結い三面頭飾を付けており,左手は胸前において宝珠をもち,右手は右膝下に垂らし,掌を外側に向ける。八大菩薩の中で宝珠をもっ菩薩は,不空訳の『八大菩薩蔓茶羅経Jでは虚空蔵菩薩であるが,そこでは右手は施願印を結び,左手に宝珠をもっとされる(注14)。一方,善無畏・一行訳の『大日経』や,『大日経』を蔓茶羅化したとされる「胎蔵旧図様」ゃ「現図胎蔵量茶羅」などでは除蓋障菩薩が知意宝珠をもっとする(注15)。後述するよ弓に,本像は善無畏系の図像による可能性が大きいので,除蓋障菩薩と同定すること-3-

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